アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 367

【公判調書1342丁〜(18/21)】

供述調書  石川一雄

右の者に対する暴行、窃盗、恐喝未遂被疑事件につき、昭和三十八年六月二日狭山警察署において、本職は、あらかじめ被疑者に対し、自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げて取調べたところ、被疑者者は任意左のとおり供述した。

(一)私は、狭山市内のオリオンというパチンコ屋に行った事もありますが、出が悪いので所沢に数年前からパチンコに行っており、東莫というパチンコ屋にも何十回も行き、競輪がない時もぶらぶら遊ぶのに丁度いい場所だから時々行っております。堀兼の、豚を飼っている石田一義さん方には昨年の九月か十月の末から二月の末まで住み込みで働き、給料は一万八千円貰っていました。そこに勤めている間で休んだのは四日しかありません。友達の東島は去年の夏頃から十二月頃まで同じ一義さん方で働いたので私も二ヶ月くらい同人と一緒に働きました。石田さん方では一義さん、義男さん、それに私や東島、それから一義さんの兄のトリちゃんも時々手伝いに来ていました。豚のえさは、毎日三回自動車で自衛隊の残飯を取りに行きますが、その時間は、朝七時三十分頃、昼一時頃、夕方五時半頃で、家を出てから帰って来るまで二時間位かかります。自動車は、薬研坂を通り狭山精密の前を通ってかよっていました。私がいる頃は、松本さん方の裏側を借りて一義さん達は住んでいましたが、私や義男は食事に行くだけで、豚を飼っている所の小屋で過ごし、夜もその小屋に泊まっていました。その小屋には高橋良平等も女を連れて泊まりに来たこともあり、私の知らない若い者が何名も泊まった事もあります。豚を飼っている所には犬が居りましたが何れも鎖で繋いであり、泥棒の番をしておりました。知らない者が入って来ればその犬が吠えていました。豚にえさをくれるスコップは、とかどの脇に二本、私達が居る小屋の方に二本あり、その外にもう一本位納ってありました。

(二)私は、一義さん方に居る時は、ゴム長靴を履いて作業をしました。同人方に行く時、地下足袋を買って行ったのですが、辞める時、置きっ放しにして帰って来ました。三月になってから家の者に石田方を辞めたとも云えないので昼間は遊びに行き、夜は石田方の豚の見張小屋に泊まりました。それが三月一日、二日、三日の三回ありました。

(三)石田さん方を辞めて自宅に帰ってから、遊びに行く時は長靴を履いたりサンダルを履いたりしていました。仕事に行く時は長靴でしたが、二回ぐらい兄ちゃんの地下足袋を借りて履いて作業に行きました。兄ちゃんの地下足袋は四、五足ありますが少し小さいので、私が履くと足に入るのは入りますが親指が下に曲がるし、夕方まで履くと足が痛くなってしまいます。兄ちゃんは地下足袋を私の足に合うものを買ってやると云っておりましたが、とうとう買ってくれませんでした。

(四)私はナイロンのジャンパーを持っていましたが、石田さん方に置いたままで辞めてしまいました。その他に白いレインコートを持っています。その他に今着ている木綿のジャンパーを普通に着ておりました。仕事に行く時兄ちゃんの作業衣を借りて行った事もあります。ズボンは、今履いている紺色のジーパンと茶封筒の色のようなズボン、それに薄い緑のズボンの三本を持っています。私が盗んだ、上下続きの薄水色の作業衣は遊びに行く時着て行った事があり、相当汚れていたので日は忘れましたが、母ちゃんが洗濯しました。

(五)私の家では六帖が一間、四帖半が三間あり、六帖の間に父ちゃん、母ちゃん、妹二人が寝ており、便所のある方の四帖半に兄ちゃんが一人で寝ます。私と弟の清は、冬の間はテレビのある部屋に寝ていましたが、四月二十五日頃、奥の四帖半の炬燵を取って普通の畳敷きにしたので、それから私が一人で奥の四帖半に寝ましたが、時には清もその部屋に来て寝るし、五月三日に板橋の姉さんが来て何日か泊まったので、その時は母ちゃんも奥の四帖半のその部屋に寝ました。

(六)私の家は、玄関と風呂場の脇の入口の二ヶ所から出入りしておりますが、夜になると大体玄関から出入りしています。五月一日と二日の晩に兄ちゃんが夜十時頃帰って来ましたが、その時は風呂場の脇の入口から入りました。兄ちゃんが帰った時は起きてテレビを見ていましたが、どんなテレビでしたか忘れてしまいました。五月一日と二日の晩は今云った奥の四帖半に私が一人で寝ました。弟はテレビのある部屋に寝たか或いは夜勤だったかも知れません。

右のとおり録取し読み聞かせたところ誤りのない旨を申し立て署名指印した。

浦和地方検察庁川越支部  検察官検事 原  正     検察事務官  滝沢  弘

事件当時の石川一雄被告人宅。写真は昭和三十八年六月十八日付捜索差押調書より転載。このテレビがある四帖半の部屋で、石川被告人と弟は、やがて降りかかる壮絶な悪夢など知る由もなく安眠を貪っていたのであろう。これはしかし、老生とて枕を高くしては寝られないのだ。いつ権力の標的にされるか分かったものではない。この狭山事件は、冤罪被害者にならぬ為の予防を喚起する意味でも知っておいた方が良い案件である。