アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 227

(前回より続く)「証明すべき事実および質問する事項」より。『⑯原検事、河本検事らは、狭山署にいる時から○○(被害者名)ちゃん殺しのことを調べ、原検事は石田一義は本当のことを言ったから返したと言い、また河本検事は、裁判所へ行ってから話すというのなら、今話してしまえと言ったこと。河本検事が、兄ちゃんが自動車を使ってやったのだろうと言ったり、スコップを持って来て見せたり、ビニールや棒のことを聞いたり、中田栄作宛に手紙を書けと言ったりしたこと。⑰逮捕されてから一週間後、連日、脅迫文の写真を見せられて字を書かされ、その内容を覚えてしまう程であったこと。警察では、被告人がかつて十四軒の方の家へ住所を書いて置いてきた紙を領置しており、その字が脅迫文の字と同じだと言っていたこと。⑱狭山署で、地下足袋を履かされ、盛った土の上を歩かされたこと。⑲裁判官が来て質問された時、三人でやったというのはどんなことかと尋ねられたこと。⑳川越署分室に詫びの文句を書き付けたのは、取調官から聞かれて、狭山で書いたとウソを言ったため、房へ帰って慌てて書いたものであること。㉑川越署分室で取調べを受けていた頃、夜遅くまで取調べられたが、お経をあげる家の時計が聞こえ、それで時刻を知る事が出来たのでそのことを話したら、以後時計が鳴らなくなったこと。㉒浦和刑務所の霜田区長から、昭和三十八年八月始め頃、自白の内容を書いた紙を渡されたこと。㉓一審判決に対して控訴したのは、霜田区長に死刑になるかと聞いたら、控訴しないのは馬鹿だ、大丈夫だ、嘆願書も書いてやる、などと言われたからであること。㉔同房に居た池田正士に、自分はやっていないと話したこと。また、その旨の歌を作り三波春夫の節で池田らと一緒に歌ったこと。その歌詞を書いた紙を霜田区長に取り上げられたこと。㉕五月一日、煙草を買う前に八百屋の所でその息子に会い、言葉を交わしたこと。㉖石田一義方にいた当時、ジョンソン基地へ残飯を取りに行った時刻は、五月一日入間川駅前で石田義雄の車を見かけた時刻よりは遅かったこと。㉗五月五日頃、石田一義から血液型を聞かれ、弟のことは喋るなと言われたこと。㉘以上の各事項に関連する事項。以上』  ・・・ふぅ。今書き終えた事柄が、被告人及び弁護側による「証明すべき事実および質問する事項」の28項目である。この申請を裁判所側が認めるか、却下するかについては公判調書を読み進めて行かなければ判らないが、私が感じたのは、各項目に目を通した時、その内容が取調官と対峙した当人でなければ語れない内容に満ちており、当時の取調室で、どのような問答が行われたか見て取れ、非常に興味深い28項目であった。                                                                  

(草むらで酒を飲んでいたところ、コイツを発見)          

(しばし観察していると、対象者はスヤスヤと眠りに付いた。つられた私も数時間昼寝した。昆虫の時間割は私と驚くほど合うのであった)