アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 100

763丁、十四行目。私は石川被告人の答弁に驚愕させられた。法廷で裁判長が石川被告人に問う。その内容は、事件発生から約二ヶ月後の昭和三十八年六月二十七日、石川被告は被害者の父親へ手紙を書き、これを届けてくれるよう刑事に頼むのだが、その過程についての質問である。まずは一連の流れを整理しておこう。当時、逮捕された石川被告は、狭山警察署から川越警察署・分室に移され、引き続き取調べが行われた。長谷部梅吉警視から十年で出す、との約束を信じ石川被告は罪を認める。これを河本検事から聞いた石川被告の父は、自身が被害者宅へ謝罪に行くので、前もって石川被告から被害者の父親へ、詫びの手紙を書けと言ってきた為、取調べ室の中、長谷部梅吉の前で手紙を書いた、という流れである。さて、石川被告の父から手紙を書けと託けられた河本検事はこれを石川被告本人に伝える。これを聞いた石川被告は、手紙を書く旨を原検事に伝える。すると、どうしたことか原検事は幾日か待ってくれと石川被告に伝える。原検事の希望通り、幾日か経ってから石川被告は手紙を書いた。裁判長:「原検事はどうして幾日か待てと言ったのか」石川被告:「それは俺にはわかりません」・・なにやらキナ臭い香りが調書から漂うが、気のせいか。私は冒頭で「驚愕させられた」と記したが、それは次のくだりを読んだからである。裁判長は藁半紙に書かれた見取図を示し、これは被害者の万年筆のありかを指し、石川被告が書いたか、と問うと石川被告はそれを認める。裁判長:「どうしてそれを書いたのか」石川被告:「長谷部警視からおれの家を捜したら万年筆を見つけたがそのことをおれから言わせようと思ってそのままにしてきたから図面を書けと言われたからここにありますと言って鉛筆でその図面を書いたわけです」裁判長:「警察官が言わない中にここにありますと言って書いたのか」石川被告:「長谷部警視が鴨居のところにあるというからその場所を書いたのであって自分の方からすすんでここにあると言って書いたのではありません」・・・。これは驚くべき証言ではないか。なぜこの部分を取り上げ、関係した者たちを法廷に召集し徹底した尋問を行なわなかったのか悔やまれる。少なくとも調書、764丁に於いては石川被告の返答をもって尋問は終了、末尾に( 以下余白 )とある。気が付いた点を一つ記す。調書763〜764丁内で裁判長が石川被告に尋ねた質問を抜き出してみると、次の事柄が挙げられる。手紙は被害者の父親へ向けたものか。手紙を書いた場所。手紙を書いた日付。手紙を書いた後誰に渡したか。どういうつもりで書いたか。手紙の内容の記憶。内容は謝罪か。手紙が被害者側に届いたかその関知。そして先に取り上げた三つの質問である。質問の種類と、それに答えた石川被告の証言への追及具合を見るとき、私が思うに、裁判長としては石川被告が手紙を書いた経緯の辻褄が合っているか、に主眼が置かれていた気がしてならない。事実、石川被告による上記の、私が表現すれば「爆弾証言」と言えるその内容に触れながらも、尋問は終了するのである。私にとって「爆弾証言」であっても、裁判長からすると瑣末なことであったと、なんだか腑に落ちないまま私は調書を閉じた。                                     

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川越警察署分室。当時使われていなかった分室に特設の取調べ室がつくられた。( 写真と解説は“無実の獄25年 狭山事件写真集: 部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編: 解放出版社より引用)