アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 204

前回、公判調書から引用した石川一雄氏の上申書、その日付けは昭和四十二年五月十七日である。引用が済み調書の頁を一枚めくると、またしても新たな上申書が載っていた。日付けは昭和四十三年三月十六日。ほぼ十ヶ月経過している。私は公判調書の書式や構成のされ方などについて全く知らない。ただ単純に裁判の進行に合わせ頁数も増えてゆく、と思っている。もしそうだとすれば最初の上申書を提出してから十ヶ月間法廷では何も行なわれていない、となる。前回引用した調書の頁1085〜1086丁。一枚めくって1087〜1088丁。この一枚めくる間に十ヶ月という月日が流れていたのである。新たな上申書は二項目に分けて書かれている。まず、その一つ目を引用する。「私は殺人等被告事件に依り東京拘置所に勾留中の者でありますが、此の度、裁判の早期進行及び証人の採用について茲(ここ)に上申書を提出する次第であります。一、昨年七月以来、約八ヶ月余を経過しましたが、何の連絡もないので如何したのでしょうか、それを私が罪を犯しているのなら何十年放置されようが致仕方ありませんが、私には身に覚えのないことであり、気が狂いそうで毎日身の切られる思いでいるのです。何卒裁判を早くして下さるようお願いします」・・・。文中にある「気が狂いそうで〜」の記述は、現代では差別用語にあたるがそれはさておき、文面には石川一雄氏の悲痛な思いが滲み出ている。狭山事件発生が昭和三十八年五月であり、それから五年が経過し、この上申書が書かれたのである。十ヶ月前に提出した上申書に対して、裁判所側からは何の返答もなく、いたずらに遅延してゆく狭山裁判は石川一雄氏に「気が狂いそう」とまで言わせるのであった。(続く)                                                

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( 日中から、人目も憚らず公園で酒と読書を楽しむ。ハートランドビールが旨い。川越ぺぺ古本祭で手に入れた「下山事件全研究 佐藤一」は大当たりであった。一頁目から昭和二十四年にタイムスリップし、周囲の喧騒も無音に感じるほど集中してしまった。後半、同事件を執筆した、ある有名な超大物推理作家を批判する項がある。いや、正確に言うとその執筆された作品の批判であるが、綿密な資料の検証を対照させ、一つ一つ事実との相違点を指摘、結果的に大物推理作家の批判につながっていて面白い。しかもその過程において大物推理作家の内在的論理(考え方の癖)なども炙り出されており、私は本書の著者「佐藤一」の筆力に憧憬の念を持ったのであった)