【公判調書1832丁〜(今回は左に示した以外の丁数も相当数含む)】
前回引用した平岡俊将検事による証拠調請求に対し、弁護側は昭和四十五年九月二十六日、東京高等裁判所第四刑事部宛に「証拠調請求に対する意見書」を提出する。その内容は次のとおり。
「強盗殺人等 被告人 石川一雄に対する控訴事件につき昭和四十五年六月十七日付検察官の証拠調請求書に対し次の意見を述べる。
(1)証拠7「飯野源治、小川実作成の現場指紋(足跡)採取報告書一通」については不同意である。
(2)その余の証拠(一ないし六)については同意する」
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○さらに同日、弁護側より証人調請求書も提出されている。内容は次のとおり。
「一、証人 新井 実
(一)当時埼玉県警本部鑑識課勤務
(二)万年筆指紋印象の有無検査についてその検査方法、検査結果の詳細について
(三)尋問予定時間 三十分
一、証人 小堀 二郎
(一)当時埼玉県警本部鑑識課勤務
(二)万年筆指紋印象の有無検査における写真撮影の方法、結果についての詳細
(三)尋問予定時間 二十分
(以上1833丁)
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○そしてこの弁護側提出の「証人調請求書」に対し、裁判所は検察に意見を求めるが、その内容は次のとおり。
「被告人=石川一雄に対する強盗強姦等事件について、弁護人から昭和四十五年九月二十六日付書面をもって証人調の請求があったので、意見を求める。
昭和四十五年九月二十八日
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○これに対する検察の意見は次のとおり。
「弁護人請求の証人新井実、同小堀二郎の取調について異議はない。裁判所において然るべく決定されたい。
昭和四十五年十月二日
(以上1836丁)
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○これにより裁判所は証人調請求書に対し次の決定を下す。
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決定
被告人一夫こと石川一雄
右の者に対する強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂等事件について、当裁判所は、検事の意見をきいたうえ、次のとおり決定する。
「弁護人から、昭和四十五年四月二十一日付事実取調請求書により取調請求のあった証人河本仁之、同中勲、同竹内武雄、同山下了一、同斉藤留五郎及び同年九月二十六日付証人調請求書により取調請求のあった証人新井実、同小堀二郎を採用し、別紙のとおり各公判期日に尋問する」
昭和四十五年十月五日
判事 足立勝義
判事 丸山喜左エ門
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公判期日 証人
昭和四十五年十二月三日 午前十時 新井実
同十一時 小堀二郎
午後一時三十分 河本仁之
同 年同 月五日 午前十時 中 勲
同 年同 月八日 午前十時 竹内武雄
午後一時三十分 山下了一
同 三時 斉藤留五郎
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○なお、これより十日後の十月二十六日、公判期日は変更されておりその内容は次のとおり。
「当裁判所は、検事並びに弁護人の意見の意見をきいたうえ、次のとおり決定する。
一、さきに決定した証人河本仁之の尋問日時昭和四十五年十二月三日午後一時三十分を同月五日午前十時に、証人中勲の尋問日時同月五日午前十時を同月三日午後一時三十分にそれぞれ変更する。
二、さきに鑑定人と定めた上野正吉の鑑定尋問を昭和四十五年十一月二十日午後二時東京都大田区大森西五丁目二十一番十六号東邦大学医学部法医学教室において行なう。
右鑑定人尋問は判事足立勝義、同丸山喜左エ門に行なわせる。
昭和四十五年十月二十六日」
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○上記の二、に上野正吉という名が確認できるが、これに関しては次に記すとおりである。
昭和四十五年九月八日付で、弁護人より裁判所へ上申書が提出されており、その文面には、
「筆圧痕鑑定について。裁判所より連絡のありました上野正吉氏を鑑定人とする件については、弁護人は同氏がすでに本件の血液鑑定を行っており同一事件について重ねて鑑定を行うことになることから不適当であると思料します。他に適当な鑑定人を選任されるよう上申します(1825丁)」
とあり、さらに九月十六日付上申書では、
「先般ご連絡を受けました筆圧痕鑑定につき上野正吉氏を鑑定人に指定する件につき、私共弁護団は協議の結果次のとおり意見を上申します。
上野正吉氏を鑑定人に指定することは、不適当であると考える。
同氏は法医学の分野においては、権威であるが、本件鑑定の内容は法医学の分野に属さず、明らかに工学部門の分野に属するから、裁判所は別に適当な専門家を鑑定人に選任されるよう希望する(1830丁)」
と上申する。
すると井波七郎裁判長判事はこの件について検察庁検事に「求意見書」というかたちで高等検察庁の意見を求める。「求意見書」の内容は次のとおり。
「第三十一回公判期日において弁護人の請求により決定した鑑定(本件記録第七冊中にある被告人の司法警察員に対する供述調書に添付の被告人作成名義の図面に存在する筆圧痕等に関するもの)の鑑定人指定について意見があれば述べられたい。なお、弁護人からは右鑑定人の指定について昭和四十五年九月八日及び十六日付上申書と題する書面が提出されているのでその写を送付する。昭和四十五年九月十七日」
○裁判長判事から意見を求められた高等検察庁検事=佐藤哲雄は「鑑定人指定に関する意見書」という書面で次のとおり意見を述べる。
「一、意見
上野正吉が適当であると思料する。
二、理由
上野正吉氏が法医学界の権威であることは顕著な 事実である。弁護人は本件鑑定が法医学の分野に属さないとして上野氏に反対の意見のようであるが、そもそも法医学とは法律上の問題解決に資する医学ないし自然科学を研究し、これを応用する学問であると定義づけられており、必ずしも狭義の医学の分野に限定されているわけではなく、上野氏自身も狭義の医学以外の分野に関する鑑定経験を有するので、この点の反対意見は理由がない。
また上野氏が本件事件において血液鑑定を行なったことはあるけれども血液鑑定と本件筆圧痕鑑定とは全く関係がなく、予断偏見により誤った鑑定をするおそれは考えられないから、これを理由とする反対意見も理由がない」
○高等検察庁検事=佐藤哲雄の述べた意見をふまえ、裁判長判事=井波七郎は十月五日、次の決定を下す。
「第三十一回公判期日に弁護人から請求のあった鑑定(本件記録第七冊中にある被告人の司法警察員に対する供述調書に添付されている図面についての鑑定)を上野正吉に命ずる。
鑑定すべき図面及び事項は、さきに宮内義之介に鑑定を命じた図面及び事項と同一とする。
右鑑定人尋問期日は追って指定する」
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○・・・以上のような応酬の末、上野正吉氏という方の存在が調書上にあらわれ、前述の東京都大田区大森西五丁目二十一番十六号・東邦大学医学部法医学教室で昭和四十五年十一月二十日午後二時に鑑定尋問を受けることとなるのである。ふ〜、ものすごく脳が疲れる。なお、上野氏に関する文書はこれで終わりではなく、上記の期日において予定通り尋問がなされ、「鑑定人上野正吉尋問調書」なる題目で公判調書1843丁に登場する。この間、調書の紙面には"上申書"、"電話聴取書"、複数の"弁護人選任届" 等が詰め込まれていることが確認でき、それぞれに対する裁判所からの返答は意表を突くような時期に、そう、忘れた頃に忽然と調書に現れるのである。
本来、今日は公判調書1832丁を軸に、まあ数丁の幅は許容範囲とし引用するつもりであったが、今述べた通り、この裁判記録というものはそれを許さず、一つの事柄を完結した形にまとめようとすると、関連し合う対象文書はかなりの範囲に広がり点在し、これらを全て拾い集める関係上、丁数的に引用幅が広がることは避けられない。引用元としては中々手強い相手なのである。
検察官による「証拠調請求」に対し、弁護側が「証拠調請求に対する意見書」を提出したことにより、この件は落着したと考えてよいのか。あるいは、再びこの件に関する文書が現れるのか、もう、よく分からない。