アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 159

(前回より続き) 「中世(四〜一五世紀)においても、文書偽造は横行した。署名、私文書、宗教書、土地財産の権利書といったものが、私利私欲のためには、数多く偽造・偽筆された。法律的文書、公文書は著名な人々よって偽造され、現在でも真偽の困難なものが多いようである。有名な文学者の原稿なども偽筆のものが多く、法外な値段で取引され後で偽物と判った例などもしばしば、ヨーロッパの好事家の間では、この時代の物には手を出すなということが常識になっているという。このような偽筆、偽作に対して、法律的にその取扱い方が明文化されたのはAD(紀元)五三九年になってからである。法廷での筆跡鑑定の大綱はこの時決められ、以後これがイギリス、フランスなどのヨーロッパ諸国に受け継がれている。*イギリス* イギリスで筆跡鑑定が裁判に採り上げられたのは一六世紀〜一七世紀の頃らしい。初期の筆跡鑑定による裁判の不幸な例は、有名なシドニー事件である。シドニー大佐は、自室の棚にあった書籍の間に、シドニーが書いたと思われる反逆を企んだ文書が見つかり、それを書いているのを見たという証人もあって、一六八四年に死刑に処せられてしまった。処刑の五年後にシドニーの無罪が法廷で確認されたのである。その誤審の理由として、シドニーを罪あるとした陪審官の答申には、被検文書と照合文書の類似点だけを挙げるばかりで、それが果たして同一人のものと言えるかどうかの決定的な証明が欠けていたこと。また、シドニーが書いたものと信じて用いた照合文書自体にも疑点があることなどが挙げられている」(続く)                                                        

f:id:alcoholicman:20220224185814j:plain

( なけなしの銭でワイヤレスキーボードを買ってみた。洒落たカフェでシャカシャカッとブログを書き、悦に入る。そんな夢想をコイツは微塵に砕いてくれた。接続は完璧な筈だが打ちたい字が出ず途方に暮れる。接続手順の何かが欠けているのだろう。つまり原因は私の無能に起因している)