アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 350

【公判調書1293丁〜》                                                 《第二十九回公判調書(供述)》                                                                                                                              昭和四十三年十月一日 東京高等裁判所第四刑事部

○裁判長判事=久永正勝(以下、裁判長と表記) 

○出頭した被告人=石川一雄

裁判長=「被告人は、この事件が起こる前に野球をよくやったということを言っているね」

被告人=「はい」

裁判長=「その野球というのは軟式野球か」

被告人=「そうです」

裁判長=「関源三という警察官は何回も被告人と一緒に野球をやったことがあるのか」

被告人=「あります」

裁判長=「どこでやったのか」

被告人=「どこといって特定のところはありませんが、日曜日に狭山精密のグランドを借りたり入間川中学校あるいは小学校のグランドを借りるとか、その時によっていろいろ借りました」

裁判長=「被告人は野球をするときにユニホームを着たのか」

被告人=「着ました」

裁判長=「ユニホームを持っていたのか」

被告人=「はい、持っていました」

裁判長=「それは自分たちの仲間の決まったユニホームなのか」

被告人=「そんなことはございませんが、私は東鳩に勤めていたので東鳩のユニホームとか、青年で作ったジャイアンツというユニホームを持っていました」

裁判長=「関源三は、石川はもし自分が死刑になったらユニホームを入れてくれと言った、という風に証言しており、入れてくれと言うのは棺の中に入れてくれという意味だろうと思われるが、被告人は関源三にそういうことを言ったことがあるのか」

被告人=「ちょっと分からないですけれども関さんがそう言ったのなら、言ったと思います」

裁判長=「それを言ったのは三人の共同犯行だとか、あるいは単独犯行だとかいうことを言う前か後か」

被告人=「後だと思います」

裁判長=「いわゆる自白をした後だね」

被告人=「はい」

裁判長=「死刑などという言葉がどうして出たのか」

被告人=「それははっきり分かりません。警察官が言ったのか誰が言ったのかちょっと分かりません」

裁判長=「三人でやったとか一人でやったとかいうことを、嘘にもしろ関に対して言った時に、そんなことをすれば死刑になるんだぞというような事でも言われたのか」

被告人=「それははっきり分かりませんが、ただ長谷部さんに、自白しなければ殺して埋めてもうちの親父なんかには逃走されちゃったと言えばわからないんだと言われたので出たと思います」

裁判長=「死刑というものがあることは当時知っていたね」

被告人=「知っていました」

裁判長=「どういうことをすれば死刑になると思っていたか」

被告人=「それははっきり分かりません」

裁判長=「あれが死刑になったとかいうことを話に聞いたことはないか」

被告人=「ないと思います。そういうことは全然関心が無かったですから」

裁判長=「自分がもし死刑になったならば、ユニホームを一緒に入れてくれということをもし被告人が言ったとすると、どうして死刑の話が関との間で出たのか」

被告人=「それはどうして出たかちょっと分かりません」

裁判長=「長谷部が、自分たちは刑事だから石川を殺して埋めてもわからないんだと言った、というのは死刑とは違うだろう」

被告人=「はい」

裁判長=「だから長谷部のそういう話から死刑という言葉が出たというのでは繋がりが付かないね」

被告人=「・・・・・・・・・・・・」

裁判長=「単独犯行ということを関に自白してから、こんなことをしたら死刑になるのかというようなことを関に尋ねたことがあるのか」

被告人=「そんなことを聞いたことは多分無いと思います。死刑というのはよく分からなかったから多分聞かなかったと思います。それに三人から一人と言ってからは関さんとは一回ぐらいしか会わなかったと思います。だから恐らくそういうことは聞かなかったと思います」

裁判長=「どういうことから死刑という言葉が出て来たか覚えが無いのか。自白した後あるいは自白する時に、もし一人でああいう脅迫状を渡したり中田○○(被害者名)を強姦したり殺したりしたら死刑になるんだということを考えたことは無かったか」

被告人=「なかったですねえ、そういうことは全然。ただ十年で出してくれると言ったからそのことばかり考えていたです」

裁判長=「そういうことをしても十年で出られると思ったのか」

被告人=「そうではないです。当時悪いことをうんとしちゃったから、ひっくるめて十年はどっちみち出られないと言われたので、○○(被害者名)ちゃんの事件も俺がやったと言っても十年で出られるのかと思ったです」

裁判長=「他の事件と○○(被害者名)ちゃん殺しの事件をひっくるめて十年だという風に長谷部が言ったというのか」

被告人=「殺さないと言っても十年は務めるんだと言われました。だから前回証人に立った池田正士も言った通り、悪いことも結構やっちゃったから十年で出られるならいいと思いました。三十五で出られればいいなあと思いました」

裁判長=「被告人は最初警察で調べられた時は○○(被害者名)ちゃん殺しなどやっていないと言っていたが、関が出て来て、関に対して三人でやったということを言い、それから日を置いて一人でやったと言った。そして一審の浦和地方裁判所でもその通りだという風に言って来て判決を受け、そしてこの裁判所に来て最初に自分は殺していないと言い出した。それからずっと調べてきた訳だが、今までのことを被告人はどう考えているか」

被告人=「○○(被害者名)ちゃんを俺が捕まえたというところだって嘘だということが大体わかっていたと思うから、そういうことから考えたって俺は殺していないということは裁判長に分かって頂けると思います。だからさっき却下になった証人のおばあさんにも是非出てもらいたいと思っています」

裁判長=「この事件について特別に言いたいことはないか」

被告人=「別にないです」     以下余白

*迂闊なことを口走ると圧力団体が押し寄せる危険があるが、今回引用した調書でも明らかな様に、狭山事件をこれほど拗らせた根源は関巡査、長谷部梅吉、清水利一といった小悪党にあろうか。

(写真は、狭山差別裁判・第三版  部落解放同盟中央本部編  部落解放同盟中央出版局より引用)

この写真を引用した以上、老生には、ありとあらゆる団体から圧力を受ける危険が発生するが、それも良かろう。狭山の黒い闇を暴くには、むしろ歓迎である。

 

狭山の黒い闇に触れる 349

【公判調書1290丁〜】

ここには何やら届けが載っている。「不参届」とあるが、見てみよう。
『昭和四十三年九月二十七日  
埼玉県狭山市入間川   高橋 ヤス子
裁判長判事  久永正勝殿
不参届
昭和四十三年九月二十四日付昭和三十九年(う)第八六一号被告人石川一雄被告事件について証人として貴法廷に出頭方の御召喚状を受領致しましたが、別紙添付の医師診断書の通りの病気の為、目下安静療養臥床中にて、出廷致し難き状態でございますので御届け申上げます。
尚、昭和四十三年八月二十三日午後三時頃、東京合同法律事務所弁護士石田享氏同中田直人氏両氏が突然私宅に来られ私に質問され、それに私が御答えました事は、次の通りでございます。                                                                        石田、中田両氏が突然来られ、近くの畑に働いていた人が私方は或いは知っているかも知れないからと言われたから来ましたとの事でした。私は事件当日は来客があり夕方迄家の中に居て、夕方門まで客を送っただけで、家より外に出なかったから、当日の事件に関しては何も知りませんと答えました。又、私の家は道路より相当奥に入り森の中にあり、林で遮断されて外は見えない状況ですから外の事は一切わかりかねます、と答えました。次に、当時警察等の山狩りがあったかと問われ、あったという事は聞いたと答えました。次に、刑事が調べに来たかと問われ、手拭いについて数回来られたと答えました。又、私方で雇っていた女の農手伝が畑で働いていたが、道路とは方向の違う遥かに離れた麦畑で一日中屈みながら牛蒡播きに熱中していた為、仕事以外の事については、気がつかなかった、と答えました。二人の弁護士の方に、以上のように話した通りで、それ以外の事は一切無関係であり、又事件に関し知っている事も無く、従って御証言申し上げる事も何らございません。以上  』
*そして文章のおわりに診断書が添付されていた。なるほど、こういう趣旨の届け出であったか。面倒に巻き込まれることは御免と言うわけだ。

 

狭山の黒い闇に触れる 348

【公判調書1288丁〜】証人=霜田杉蔵・六十一才・元浦和刑務所拘置区長。問うのは石川一雄被告人。

( 霜田証人が石川一雄被告人は請願作業をしていない、あるいは房内で釘を所持していたため革バンドをはめられた事は知らないと述べ、それに対し石川一雄被告人が霜田証人の記憶を喚起させつつ問うてきたが、かろうじて革バンドの使用は記録に残っているだろうとの霜田証人の証言を引き出した。そして・・・ )
被告人=「それはいいです。四房から七房へ移されてのち、十七房へ移された時、十二月頃です。十六房に居たちょっと朝鮮人みたいな人ですけれども、その人に煙草をつけることを教わって、その時にあの桜の木から逃走されるじゃないかと私が言ったので、桜の木を切ったことがありませんか、区長室の・・・」
証人=「事務室の前ですか」
被告人=「ええ」                                                            証人=「あれは逃走するからとかじゃなく、だいぶ茂って毛虫なんかも出るから、枝を切ったことがあります」     被告人=「それははっきり分からないですけどその人なんかが来て、区長さんなんかにだいぶ責められて、お前が言ったことを話したら、桜の木を切ったって、こう言ったですね」
証人=「そういうことは、本人は誰から聞いたか、私はそのために桜の木を切ったと言った憶えはないです」         被告人=「その後、死刑の判決が出て、要するに三十九年三月十一日に、十六房に居たその人が運動に出た時に、お前は死刑だぞと言ったので、死刑じゃあるもんかい、長谷部さんと十年の約束をしてきたと私がそう言ったんです。その時小泉という先生が運動の担当をしてました。そこで、その時は池田正士さんなんかも居たと思います。それで、俺と一緒に押田も井上もその時、そんなことは無いってはっきり言って、でも、娑婆へ帰っても池田正士なんかは名前は憶えていませんが、○○さんが言ったことは本当だぞ、嘘をついているんだったら早く弁護士さんに言ったほうがいいぞと言ったんです。その当時弁護士など信用して無かったので、弁護士に言うより区長さんに面接つけて、その時、区長さんに面接つけに行った時、小便たれに行ってたように思いますが、その時区長さんに言ったら、そんなことは無いよ、東京へ行けば大丈夫だと、そういうように言わなかったですか」
証人=「さあてね」
被告人=「判決の次の日です」
証人=「求刑じゃなくてですか」
被告人=「ええ。三月十一日、俺は十日と憶えていたけど裁判所が十一日と言いましたので」
証人=「その点詳しいことは今ちょっと思い出せないです」
被告人=「もう一点、原検事さんが、書く人と一緒に来た日時はだいたい憶えているでしょう」
証人=「はい」
被告人=「五分間ぐらい」
証人=「はい、短い時間でしたね」
被告人=「あの当時、区長さんが、四房で仕事をやってる時、石川元気かい、これを読んでみないかと、こういう紙三枚くらい綴じたやつを見せた記憶は無いですか」
裁判長=「こういう紙というのはどういうものですか」
被告人=「わら半紙半分の紙を三枚です」
証人=「それは原検事が来た当時ですか」
被告人=「当時か何か、はっきり分かりません」
証人=「君のところに私が書いたものを持っていくということは・・・・・・・・。それは森脇担当じゃなかったのか」
被告人=「区長さんだったと憶えています。森脇担当さんはよく知っていますから」
証人=「記憶が無いですね」
被告人=「裸で、後ろ向いてやってたですよ、四房か八房か今ちょっと判らないですが」
証人=「北側で仕事をしていたのか」
被告人=「北側ですね、暴れたでしょう角材を持って。あれから十八房へ移されたです」
証人=「角材持って、なにしたことは知っています」
被告人=「区長さんが夜来たのは憶えています。あの時は十八房だったです」
証人=「その紙を持って行ったのはちょっと記憶ないですね、思い出しません」
裁判長=「今の森脇という人は何ですか」
証人=「担当の部長です」
被告人=「一階の、総合担当主任です」
( 以上   佐藤治子 ) 
昭和四十三年九月三十日
裁判所速記官  沢田伶子
裁判所速記官  佐藤治子
 
 

狭山の黒い闇に触れる 356

【公判調書1317丁〜(5/21)】

供述調書(甲)石川一雄

右の者に対する恐喝被疑事件につき、昭和三十八年五月二十八日狭山警察署において、本職は、あらかじめ被疑者に対し自己の意志に反して供述をする必要がない旨を告げて取調べたところ、任意次の通り供述した。

(一)私が今迄申上げた事で異なっている事や話し足らない事が有りますからその事について申上げます。五月六、七日の夜、家の者が全部揃って居て茶の間でテレビを見ている時です。六造兄ちゃんが私に対し、○○(被害者名)さんは五月一日の三時から五時頃迄の間に殺されたんだ。俺は十時頃まで入曽の山ちゃん(おでんや)へ行っていたから大丈夫だ。刑事が来て色々の事を聞かれたら、一雄お前近所の水村福治さんの処で俺と一緒に仕事をしていた事にしておけと言われたのです。この事は六造兄ちゃんには父富蔵から前もって話しがしてあり私のアリバイを作る話しをしてくれたのだと思います。ただ今福治さんの家と申しましたのは水村しげさんの家の亭主です。

(二)次に、その時であったかその後であったか思い出せませんが、五月三日から十日頃までお客に来ている一枝姉さんに、一雄、お前アリバイなど作っても致し方ない、もしそのアリバイが崩れたら大変だ。自分でやっていなければそんな事をする必要がない、と言われました。

(三)次は五十子米屋の手拭いの事についてお話し致します。日取りの点は覚えておりませんが私の五月一日のアリバイについて話しが出た後の事でした。警察から刑事が来て五十子米屋から手拭いを貰っている家を片っ端から調べているそうだと父富蔵が言い、その時私に、一雄お前五十子米屋から貰った手拭いを知らないか、と言うので私は知らないと返事をすると、俺の処でもその手拭いは探さなければならないと言う事で、家中で探しましたが、その時手拭いは見つかりませんでした。そこへ兄さんが昼間の仕事を終わり帰って来たので父富蔵が六造兄ちゃんにその話しをすると、兄ちゃんもそれでは見つけようと言う事で自分の行李かタンスを調べたり五十子米屋から貰った手拭いが二本見つかりました。中一本はお手富貴(おてふき)の袋がかぶっており、他の一本は中身の手拭いだけでした。その時兄ちゃんはそのまま仕舞ってしまい、その翌日か翌々日、刑事が私の処へ来て五十子米屋から貰った手拭いを見せてくれと言うので家の人が見せたという事を後で聞きました。その手拭いは警察が見ていったからよいという事で一本は父ちゃんが鉢巻用に下ろしてしまいましたら、その後、又幾日か経て刑事がその手拭いを貸してくれと言って持って行ったという事を母から聞きました。

(四)次に、私は五月三日の日は、前回聞かれた時はお昼から兄ちゃんや三郎さん、父富蔵らと近所水村国治さんの処に仕事に行ったと申しましたがその通りで、午前中は友達の水村正ちゃん、石川太平、樋口明らと入間川小学校へ野球の練習に行ったのです。

右のとおり録取して読み聞かせたところ誤りのないことを申立て署名指印した。

於狭山警察署  刑事部捜査第一課  司法警察員警部  清水利一

*この供述調書は五月二十八日に取られている。兄の六造は、定職に就かぬ弟の身を案じ、念の為アリバイを作った。もちろんその意図は殺人犯をかばう事ではなく、警察のような厄介者たちから身内に災いが及ばぬよう先手を打った意味合いが強い。この狭山事件は差別問題と絡めて語られ、関連する出版物も概ねそれを主軸にした書籍が大半を占める。だが、老生がこの公判調書を読む限り、差別というより貧乏な、貧農な世帯を警察は集中捜査したと、こう捉えることが出来るのであり、確かに当時の狭山地方に差別問題が存在した事は事実であるが、中部・西日本ほどの激烈な差別問題とはその深度が違うと、こう思うのである。そして何よりも今回引用した供述調書の具体性などを見ると、この時警察が徹底的に調書の裏付けを取っていれば、事件とは無関係な人に罪を被せるような愚行を防ぐことが出来た筈である。

写真は事件当時の石川一雄被告人宅。

狭山の黒い闇に触れる 347

【公判調書1286丁〜】証人=霜田杉蔵・六十一才・元浦和刑務所拘置区長。問うのは石川一雄被告人。

被告人=「先ほど証人は、作業をしてないと言いましたね」                                                                                 証人=「はい、記憶がなかったから」                                                                                                                            被告人=「請願作業願いを出して、ちょっと日にちがはっきり判らないですけど、接見禁止になったのが、浦和拘置所へ行ったのが七月の九日、火曜日だったと思っておりますので、それから約十日か二十日間ぐらい経ってから、一人じゃ退屈で請願作業のあれを出してもらって、それから三日後に袋物貼りをやって、その月七月は短かったために八十四円の作業金を貰って、それで八月に入ってから丸々出来たので二百七十円を貰って、食料を買ったような気がするんですけど」                                                                                                                                                        証人=「だいぶ経っておったので或いは・・・・・・」                                                                                                        被告人=「その仕事をやってたというのは、井上何とかという・・・・・・」                                                                     証人=「それは雑居に入ってからですか」                                                                                                                   被告人=「接見禁止の時です」                                                                                                                                      証人=「接見禁止中に作業をやったというんですか」                                                                                                 被告人=「四房だったと思います。作業をやったのは」                                                                                              証人=「・・・・・・・・・・・・」                                                                                                                                               被告人=「それをはっきり言いますと、当時、面会に来ても会えない、もちろん俺も会わなかったですが、四円しか持ってなかったんです。それで金に困って、床屋にもかからなくちゃならないって言ったら、それじゃ作業をやってくれないかって、ちゃんと請願作業のあれも、自分でどういう理由でというやつも書いて、で、森脇さんに渡したんです。それで、区長さんから許可を取ってきて、それから三日後に仕事をやったような気がするんです。大体四十日間か五十日間やったから区長さんも多分憶えていると思いますが」                                                                       証人=「或いは記憶を漏らしたかも知れませんね。或いは請願作業の袋貼りをやったかも知れません、いや、そう言われて見ると思い出します」                                                                                                                                     被告人=「それからもう一つ。革バンドにかかったことが無いと言ってましたが、はっきり言いますと、三十八年の十二月二十七日の夜、小泉さんという人が夜勤の担当をしていた時、釘を持っているという理由で、十七房にいた時です。裸にされて、それで無かったですね。それで八房に移されたんだ。その夜に、裸のまんまで布団はどこかから持って来たか、とにかく自分で、十七房にいた時もパンツ一枚以外は持って入ることは出来ず、その晩だいぶ調べたらしく、無いってことだったので私は暴れて、謝まれと言ったけれども謝まんないから、区長さんより上か何か分かんないけど、その人を蹴ったんです。その時は暴れるのを予想してたかどうか知らないですけど革バンドを持って来て、直ぐかけられちゃったです」                                                                                                                                 証人=「それは夜の何時ごろだったですか」                                                                                                                被告人=「七時ごろです」                                                                                                                                            証人=「私がまだいた頃ですか」                                                                                                                                  被告人=「いたかどうか、はっきりしませんが」                                                                                                        証人=「午後七時というと夜勤者になりますね。私は五時半に帰りますから」                                                          被告人=「それはそれでいいですけれども、区長さんはその頃から三十一日頃までお勤めに出たでしょう」             証人=「はい」                                                                                                                                                              被告人=「私が革バンド解けたのは、三十一日の午前四時ごろ警備隊長の所へ行って許してもらったから、結局四日間かけていたから区長さん多分憶えていると思いますが」                                                                                             証人=「・・・・・・・・・・・・」                                                                                                                                               被告人=「もう一つ詰めて言いますと、その二十八日の夜午後六時ごろかも知れないです。うちのお袋と妹の美知子が面会に来て、夕方だったため会えなかったのか、俺が革バンドかかってる為に会わせなかったのかよく分かりませんが、とにかく会えなくて、“ 平凡 ”の三十九年の二月号それを差入れしてもらって、その頃から一般の雑誌を見たように思いますが」                                                                                                                                                裁判長=「十二月の二十八日に“ 平凡 ”の二月号が差入れられたんですか」                                                                被告人=「そうです」                                                                                                                                                    裁判長=「二月号が出てますか、もう」                                                                                                                       被告人=「ええ、出てます。まぁ、“ 平凡 ”はいいですが革バンドです。革バンドかけられたのは井上なんか、知っていますから」                                                                                                                                                         証人=「そう言えば、革バンドの使用のことも身分帳に出ていますから、分かると思いますが古いことで忘れたかも知れません」・・・続く。
*霜田証人の記憶があやふやなのか、意図してとぼけているのか、調書から見抜くのは中々難しい・・・。
本文とは関係ないが、狭山事件では有名な場所になっている荒神様である。正確に言えば三柱神社か。写真やや右手に鳥居が見える。
このような事件が無ければ誰も関心を示さなかったであろう、地味な社殿である。
この三点と次の写真は狭山事件資料より引用しているのであるが、とすると鳥居の後ろでポーズを取る人物は捜査関係者の可能性がある・・・。
以上、昭和三十八年の三柱神社社殿である。
そしてこの写真は1988年5月1日撮影であるから、事件から二十四年後の情景となる。尚、現在この辺りは更なる住宅化が進み、鳥居と、社殿のつもりであろうプレハブ小屋が残され、控えめに異彩を放っている。



狭山の黒い闇に触れる 346

【公判調書1284丁〜】証人=霜田杉蔵・六十一才・元浦和刑務所拘置区長。    問うのは平岡検事。

平岡検事=「今思い出しても、自分がいない時に代理の人が何かそういうものを報告を受けて、報告したとか言うことも分かりませんか」                                                                                                                                                  証人=「 はい。もしあったとすれば私の留守中にそのようなものを発見したとするならば、私の代理に来た区長から、何か報告があるわけですが、その報告も私は聞いたことはありません」                                                              裁判長=「今、検事が聞いたことに関連してですが、そういう捜検の時に発見したようなものを区長から管理部長の方に報告する時に、それは記録に留めるんですか」                                                                                                  証人=「もし、そういった異様なものが重要なものだとすれば一応記録します」                                                      裁判長=「そういう場合に、例えばどういう紙にどういう内容のことを書いたものだという事は、もし取上げれば、それは記録に留めておくんですね」                                                                                                                           証人=「留めておきます」                                                                                                                                            裁判長=「それは、どういう記録ですか」                                                                                                                   証人=「それは視察表というのがあります。それに一応こういう事件があったと書いて、もしそういったことが有れば、全部視察表に書いて身分帳に綴じます」                                                                                                            裁判長=「各個人別ですか」                                                                                                                                          証人=「本人の身分帳です」                                                                                                                                     裁判長=「視察表というのは、個人別にあるんですか」                                                                                              証人=「そうです」                                                                                                                                                       裁判長=「すると、証人が自分で報告を受けたか、あるいは代理が受けたか、いずれにしても、もし捜検の時に石川の房から歌を書いたような紙を取上げたとすれば、視察表に書いて編綴しておくということですか」                     証人=「ええ、一緒に身分帳に綴じます」                                                                                                                    裁判長=「それは、刑務所の管理部長がそれを見るわけですか」                                                                                    証人=「そうです、管理部長が一応承知したと全部印を押して所長に報告します。ですから区長のほうから直接所長のほうへ持って行くということはございませんです」                                                                                             裁判長=「それからもう一点。さっき池田という証人を調べましたが池田と石川が同じ房におったことは記憶ありますね」                                                                                                                                                                          証人=「記憶あります」                                                                                                                                                裁判長=「そのほかにおった人の記憶はありませんか。例えば池田証人が言っておったんですが、押田とか市川勇とか」                                                                                                                                                                            証人=「押田というのは居た記憶はありません。二人ということは無いですから、三人か四人おったですから」                                                                                                裁判長=「市川というのは記憶ありませんか。何か入れ替わったようなことを池田証人が言っておったですが」                                                                                                 証人=「・・・・・・・・・・・・」                                                                                                                                                裁判長=「憶えていないですか」                                                                                                                                 証人=「だいぶ日にちが経ったから、ちょっと記憶しておりません」                                                                        裁判長=「清水という人はどうですか。石川と一緒におったかどうか」                                                                     証人=「石川君と一緒におったのは池田正士。これは傍から見て仲が良さそうだと、よく話してましたが、ほかの人はちょっと憶えていません」                                                                                                                                     裁判長=「市川とか池田が一緒になってから、房の中で歌を歌って騒いだと、騒ぐといいますか歌を歌っておったので、看守に制止されたとか何とかということはありませんか」                                                                                 証人=「それは、あったかも知れません」                                                                                                                     裁判長=「かも知れないでは困りますが」                                                                                                                   証人=「何か、喧嘩口論でもしたということになれば報告が来たかも知れませんが、ただ、歌を歌って担当看守が注意したということは、別に私のところへ報告が来ませんから、別に私には判りません」                                        裁判長=「あったか無いか判らんということですか」                                                                                                  証人=「判らないです」・・・続く。
写真は、昭和38年に現在の沢交差点付近で撮られたもの。写真奥に自転車屋があるようだが・・・。
これが関口自転車店である。よく見ると中央に懐かしい実用型自転車が二台止まっている。今現在もこの付近に同名のバイク屋があるが、もしかしたら二世の方が経営している可能性がある。

狭山の黒い闇に触れる 345

【公判調書1282丁〜】証人=霜田杉蔵・六十一才・元浦和刑務所拘置区長。ここで宇津弁護人にかわり石田弁護人が問う(以下、弁護人と表記)

弁護人=「捜検というものを刑務所で房にいる者に行うことがありますか」                                                              証人=「はい、あります」                                                                                                                                             弁護人=「浦和の刑務所に石川君がおった頃に、あなたも捜検の場所に赴いたことがありますか」                           証人=「私は捜検現場には立会ったことはありません」                                                                                             弁護人=「随行して行ったことはありませんか」                                                                                                         証人=「捜検している所を順番に廊下を回ってる程度で、特にその房に入って、自分も一緒にやるということはございません」                                                                                                                                                                 弁護人=「ですから、随行して行ったことはございませんか」                                                                                   証人=「はい、ございます」                                                                                                                                         弁護人=「石川君が池田正士君たちと一緒にいた頃になりますけれども、石川君が一審判決があってのちのことですが、石川君たちの房に対する捜検に、あなたが付いて行かれたことがございますか」                                              証人=「ございません」                                                                                                                                              弁護人=「絶対ございませんか」                                                                                                                               証人=「ございません」                                                                                                                                                 弁護人=「ほかの人達には、入る場合もあるんですね」                                                                                              証人=「場合によると入ることもございます。捜検の場合には捜検係がございますからその人達にやらせますから」                                                                                                                                                                                    裁判長=「今言った捜検係というものは、決まっているんですか。当番でやるのですか」                                        証人=「決まっております」                                                                                                                                         平岡検事=「今の捜検は直接あなたはなさる事は無いわけですか」                                                                        証人=「ありません」                                                                                                                                                   平岡検事=「ほかの人が捜検をして異様なものなどを発見した場合にはどういう手続になるのですか」                    証人=「捜検しまして、異様なものがありますれば一応私の所へ提示します」                                                           平岡検事=「いつでもですか」                                                                                                                                     証人=「はい」                                                                                                                                                              平岡検事=「刑務所の中に拘置区があるわけですね」        証人=「そうであります」                                                平岡検事=「すると、刑務所長と、あなたの関係はどういう関係になるのでしょうか」                                             証人=「やはり刑務所長が私を監督しております」                                                                                                     平岡検事=「上司になるわけですか」                                                                                                                          証人=「はい」                                                                                                                                                              平岡検事=「と、あなたが何か拘置区のことで報告をしなきゃならない様な事項が起きた時は、あなたから刑務所長に報告したわけですか」                                                                                                                                            証人=「一応、私のすぐ上司に管理部長がおりますから、その人に報告しました」                                                  平岡検事=「管理部長を通して所長に報告するということですね」                                                                           証人=「はい、そうです」                                                                                                                                             平岡検事=「そこで今の捜検の異様物を発見した場合に、あなたがもし、当日何か出張だとか、その他の都合で勤務しておられない場合もあり得るわけですね」                                                                                                            証人=「あります」                                                                                                                                                       平岡検事=「そういう場合はどういう手続になりますでしょうか」                                                                           証人=「そういう場合は、私の代理が誰か来ておりますから」                                                                                   平岡検事=「誰がですか」                                                                                                                                            証人=「副看守長とか管理区長ですね、それが私の代理を致します」                                                                        平岡検事=「するとそちらの方へ、もしあなたがお留守だとすれば報告が行くことがあるわけですね」                   証人=「はい、ございます」                                                                                                                                         平岡検事=「その様な場合に、あなたが出て来られてから、そういう事実についてあなたは分かるでしょうか」                                                                                               証人=「はい。私がいない留守にこういう事があったと報告を受けます」                                                                  平岡検事=「それで、先ほど弁護人からいろいろお尋ねのあった、歌を書いた紙のことなんですけれども、あなたは全然記憶が無いし、聞いたことは無いと、こう仰ったわけですね」                                                                             証人=「はい」・・・・・・・・。
*睡魔に襲われつつ調書を読み進めて来たが、ここにきて、やっと尋問の核心に触れたようだ。石川被告人が房内で書いたとされる、三波春夫の替え歌、その紙そのものが一体どこへ消えたのか。いや、消えたとはまだ断言できないが・・・。じっくりと慎重に公判調書を読み込んで行こうと思う。
本文とは関係ないが、これは昭和38年の光景である。 現在の沢交差点付近から狭山市立東中学校方面を撮影している(狭山事件資料より)