アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 348

【公判調書1288丁〜】証人=霜田杉蔵・六十一才・元浦和刑務所拘置区長。問うのは石川一雄被告人。

( 霜田証人が石川一雄被告人は請願作業をしていない、あるいは房内で釘を所持していたため革バンドをはめられた事は知らないと述べ、それに対し石川一雄被告人が霜田証人の記憶を喚起させつつ問うてきたが、かろうじて革バンドの使用は記録に残っているだろうとの霜田証人の証言を引き出した。そして・・・ )
被告人=「それはいいです。四房から七房へ移されてのち、十七房へ移された時、十二月頃です。十六房に居たちょっと朝鮮人みたいな人ですけれども、その人に煙草をつけることを教わって、その時にあの桜の木から逃走されるじゃないかと私が言ったので、桜の木を切ったことがありませんか、区長室の・・・」
証人=「事務室の前ですか」
被告人=「ええ」                                                            証人=「あれは逃走するからとかじゃなく、だいぶ茂って毛虫なんかも出るから、枝を切ったことがあります」     被告人=「それははっきり分からないですけどその人なんかが来て、区長さんなんかにだいぶ責められて、お前が言ったことを話したら、桜の木を切ったって、こう言ったですね」
証人=「そういうことは、本人は誰から聞いたか、私はそのために桜の木を切ったと言った憶えはないです」         被告人=「その後、死刑の判決が出て、要するに三十九年三月十一日に、十六房に居たその人が運動に出た時に、お前は死刑だぞと言ったので、死刑じゃあるもんかい、長谷部さんと十年の約束をしてきたと私がそう言ったんです。その時小泉という先生が運動の担当をしてました。そこで、その時は池田正士さんなんかも居たと思います。それで、俺と一緒に押田も井上もその時、そんなことは無いってはっきり言って、でも、娑婆へ帰っても池田正士なんかは名前は憶えていませんが、○○さんが言ったことは本当だぞ、嘘をついているんだったら早く弁護士さんに言ったほうがいいぞと言ったんです。その当時弁護士など信用して無かったので、弁護士に言うより区長さんに面接つけて、その時、区長さんに面接つけに行った時、小便たれに行ってたように思いますが、その時区長さんに言ったら、そんなことは無いよ、東京へ行けば大丈夫だと、そういうように言わなかったですか」
証人=「さあてね」
被告人=「判決の次の日です」
証人=「求刑じゃなくてですか」
被告人=「ええ。三月十一日、俺は十日と憶えていたけど裁判所が十一日と言いましたので」
証人=「その点詳しいことは今ちょっと思い出せないです」
被告人=「もう一点、原検事さんが、書く人と一緒に来た日時はだいたい憶えているでしょう」
証人=「はい」
被告人=「五分間ぐらい」
証人=「はい、短い時間でしたね」
被告人=「あの当時、区長さんが、四房で仕事をやってる時、石川元気かい、これを読んでみないかと、こういう紙三枚くらい綴じたやつを見せた記憶は無いですか」
裁判長=「こういう紙というのはどういうものですか」
被告人=「わら半紙半分の紙を三枚です」
証人=「それは原検事が来た当時ですか」
被告人=「当時か何か、はっきり分かりません」
証人=「君のところに私が書いたものを持っていくということは・・・・・・・・。それは森脇担当じゃなかったのか」
被告人=「区長さんだったと憶えています。森脇担当さんはよく知っていますから」
証人=「記憶が無いですね」
被告人=「裸で、後ろ向いてやってたですよ、四房か八房か今ちょっと判らないですが」
証人=「北側で仕事をしていたのか」
被告人=「北側ですね、暴れたでしょう角材を持って。あれから十八房へ移されたです」
証人=「角材持って、なにしたことは知っています」
被告人=「区長さんが夜来たのは憶えています。あの時は十八房だったです」
証人=「その紙を持って行ったのはちょっと記憶ないですね、思い出しません」
裁判長=「今の森脇という人は何ですか」
証人=「担当の部長です」
被告人=「一階の、総合担当主任です」
( 以上   佐藤治子 ) 
昭和四十三年九月三十日
裁判所速記官  沢田伶子
裁判所速記官  佐藤治子