アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 898

【公判調書2794丁〜】

                   「第五十三回公判調書(供述)」

証人=関 源三(五十五歳・飯能警察署勤務、警部補)

                                            *

山梨検事=「それから、被告人のその当時当時、これは一審判決、あるいは判決後の期間に及んでるんですが、被告人の感じ、被害者に対する感想等も記載されてるようですが、三十九年三月七日消印で三月七日付の封書、それから三十九年三月二十九消印で、三月二十八日付の封書、それから三十九年四月二十七日付の封書ですが、まず初めの、三月七日付の文面は、『私は、夜七時五分から五分間の正座時間に、私は、必ず人を殺して反省しないようでは、神様が黙ってはおりません。又、私はどのような裁きを受けようが、決して不服はありません。関さん、どうか、清がまた野球をやるようなことがあるでしょうが、いずれ面倒をみてやってくれませんか、うんぬん』と、これは、その前に面会したお礼なんですが、この面会について、こういうことを書いてるんですが、これはどういう意味か、わかりますか、『・・・本当に有り難うございました。関さんの前であのようなことを言って、誠に申し訳ございません。あのようなことというのは、私はもうどうなっても構わないと言ったことです。関さんにはどのように感じられたことか、あれは、私が心から申したのではありません。ただ関さんにこれ以上の心配をかけたくなかったからです。また関さんはあの時私を睨むような目つきをされましたね。私も本当のことを申せば良かったなと後で思いました。ここでお詫び致します。』こういう文言があるんですが、面会の時のいきさつについてのお詫びの趣旨ですが、何かあったのですか」

証人=「特別そういう記憶はないです」

山梨検事=「なんか、そういう細かい心遣いをする男ですか、被告人は。今まであなたの経験から考えて」

証人=「そういうのは、そうでもないですが、石川君が悪い、というかそういうことを言ったことも私は記憶がないし、また、私が睨むように、と言うけどそういうことも私は記憶がないんです。だから、この間はこういう風で悪かったけれど気を悪くしないでくれと言われても何だろうかなという風で、ちょっと、あのことか、ということが出てこないです」

                                            * 

裁判長=「しかし今、検察官が言われたのによると、手紙に、あのこと、というのを被告人が書いてあるようになってるようだが、そうじゃないの」

証人=「それで、面会に行った時でもそう私が感じるようなことはなかったです」

裁判長=「被告が言わんとするところは、その時にこういう風な感じがしたと、あなたは気を害したのではないかと思ってると、被告人はそういうことについてお詫びしてるということじゃないですか。どうなっても構わないんだということについて、あなたはちょっと意外な感がしたのか、それは自分の意に沿わない発言であると思っただろうと、被告はそう説明してるんじゃないの」

証人=「はい」

裁判長=「だから、そういうこと、自分はそういう風に思ったんじゃないんだが、被告は、そういう風に書いて来たんだということは分かるんですが、自分としちゃ、そういうつもりはなかった、特別な挙動をしたことはない、しかし、向こうは、そういう風に感じたという説明をしてる手紙だが、それは分かるんですね」

証人=「はい」

                                            *

山梨検事=「なんか、今まで彼と一緒に生活というか、行動を一緒にしていて、こういう被告人の面があったのかなという面はなかったですか」

証人=「それはこのことに全然関係ありませんですけれども、私が仕事というか、交通事故現場へ行った時に、石川君がいて、いやこれはこっちが悪いんだ、あっちが悪いんだと言ってたことがあるんです。それでいや、おまえ、おれが来たんだ、お前が言うんじゃねぇんだと、わしが冗談とも何ともつかんように言った時も、ああそうかと言って帰ったこともあるんです。それから、小学校のグラウンドで野球をやってる時に、チームの人に用事が出来て、学校の先生が言付けに来てくれたんですが、その時、やってるグラウンドの中を駆けて来たんで石川君が、そんなところ駆けて来ちゃだめだと、こっちからでかい声で怒鳴るというか、運動場ですからでかい声で言わないと聞こえないので、大きい声を出した、その時もわしが、せっかく来たんだからでかい声出しちゃだめだと言ったようなこともあるんで、そういうようなことで、私特に、石川君がわしに言ったことで、わしが気を悪くしてるだろうという心当たりはないです」

山梨検事=「三十九年三月二十八日付の文面、これは判決を受けてからの手紙ですが、『テレビやラジオ、新聞でご存じの通り、私は死刑の判決を受けました。それも仕方ないこととあきらめておりますが、控訴申立ての手続きだけはしておきましたが、関さんに、早く手紙で知らせねばと思いながらも心が落ち着かぬまま今日までのびのびになってことを深くお詫びいたします。関さんには親以上にお世話になった事を生涯忘れません。本当に有り難うございました。厚くお礼申し上げます。』 となってますね。それから三十九年四月二十七日付の文面によると、『力を落とさずと書いてありましたが、私は今運動に出るたびにキャッチボールをして過去の事を忘れようと面白く遊んでおります。面白くと言っては聞こえが良くありませんが、決して善枝ちゃんのことは忘れたわけではありません。ただ今私は、死刑にされている身ですから、その死刑を忘れようと尽くしているのです。』となっていますね」

証人=「はい」

                                                                   (以上 佐藤治子)

                                            *

(続く)

                                            *

○孤立無援の心理的不安の中に陥った石川被告に、かねてから親しかった関 源三を引き合わせるという捜査本部の策略が実行された。素朴な人間の信頼関係を巧みに利用するあくどいやり方であった。その心理的状態を石川被告は次のように書いている。

「たとえその目的が私を上手く騙すための警察の手段であったとは申せ、私にとっては地獄で仏の顔を見たように懐かしいものとして映ったのでした。責めるだけ責められ、誰一人として優しい言葉一つかけてくれるわけでない中で、たった一人の関さんが私の身を案じ、家族のことを伝えてくれたりして私を励ましてくれるのでした。しかもその人が私と一緒に野球をしていた人なのですから、どうして疑ったりできましょうか。私にはそれほど考える余裕も知恵も当時はありませんでした。ご存じのように、私が別件で逮捕されましたのが昭和三十八年五月二十三日の朝で、それ以後の取調べは、逮捕事由の容疑ではほとんど調べられず、もっぱら中田善枝さん殺しについての質問責めの連続で終始いたしておりました。それからまる一か月の間、うそ発見器にもかけられたり、検事が雑談の中で殺人事件の犯人は何人くらいだろうと様子をうかがったり、入れ替わり立ち替わりの調べ官の緩急自在な脅し、甘言などで疲労困ぱいにあった私でありますが、その間をときどき関さんが顔を見せては優しい言葉をかけてくれたり、心配している様子などを見せていましたので、全くの恐怖の中にある私にとって、そんなときの関さんがとても安らぐ思いであったのです。私が自白をさせられた経緯としての長谷部課長との約束、すなわち『殺人を認めれば十年で出してやる』につきましても、それを言い出す前に『認めなければお前も殺して善枝のように埋めてしまう』と言ったり、『認めなくともどうせ九件の悪事で十年は出られない』などと、あらゆる言葉を使って私の恐怖をつのらせるようにしていたのです。そして私が恐怖のどん底にあるときにタイミングよく関さんが現れては『石川君、打ち明けてくれ、善枝さんを殺したのだな、話してくれなくてはわしは帰ってしまうぞ。それでもいいかい』というようなことを、手を取って涙を流して申すのでした。そして私が感情的に困惑しているのをみて、他の警察官たちは『われわれがここにいたら話しづらいだろうから皆さん外へ出ましょう』といって出て行ってしまったのです。すると関さんは泣きながら『わしがいない間は淋しかっただろう』と手を握ったり、肩を撫でたりしながら優しい言葉をかけてくれ、私もつられて泣き出してしまったのです。そして更に『打ち明けてくれ』と言い続けていましたので、私も長谷部課長の言葉のように約束してもらえると思い、どうせ認めなくとも十年は出られないなら、認めることによって、今の責苦から解放されて楽になりたいと思い、関さんに『三人でやった』と認めたのでした」

六月二十三日、ついに石川被告は長谷部や関らの巧妙な心理作戦に敗れたのであった。(狭山差別裁判第三版=部落解放同盟中央本部編より引用)