アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 855

【公判調書2678丁〜】

                   「第五十一回公判調書(供述)」

証人=長谷部梅吉

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石田弁護人=「証人が昭和三十八年六月二十日付で作成した検察官手持ちの、強盗強姦殺人ならびに死体遺棄事件の被疑者の取調べ状況についてと題する狭山署長宛の書面をもう一度見て下さい。この名前の下に押してある判子は当時所持していた判子ですか」

証人=「そうだと思います。実印ではなかったかと思いますけれども」

石田弁護人=「それから一番最初の行の訂正をよくご覧下さい、これは十九日と書いてあるものが消されて二十日と書き直されたものですね」

証人=「ええ、これは訂正印を打ってありますから訂正したものが正しいわけですね」

石田弁護人=「それと、下の埼玉県狭山警察署のスタンプがありますね、この日付が三十八年六月十一日付になっておりますね」

証人=「はあ」

石田弁護人=「それから一枚目には丁数の八九五丁という番号がナンバーリングで打ってありますね」

証人=「はい」

石田弁護人=「二枚目以下には打ってありませんね」

証人=「どういう風にこれやっていたのか一本に対するものか・・・・・・」

石田弁護人=「状況を確認しておくだけです」

証人=「はい」

石田弁護人=「合計三枚の紙ですね」

証人=「はい」

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(昭和三十八年五月二十三日、石川一雄氏は別件逮捕される。現在引用中の公判の模様は、この再逮捕から八年後の昭和四十六年に東京高等裁判所において行なわれた尋問である。ところでこの写真を見るたび私は、石川一雄氏の表情が"寝耳に水"という言葉を顕著に表してはいないか、と何度も思うのだが、これは全く私の主観であり、狭山裁判とは何ら関連することも無いのであるが、どうにもこの彼の表情は私の心に刺さってくるのである)

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石川一雄被告人(以下、被告人と表記)=「最初に手錠をかけた、かけないについて、狭山と川越に関わらずその辺についてお尋ねします。証人が調べに同席した時で結構ですから、手錠はどうなっていたか。片手錠か、両手錠で調べたか、手錠なしでか、その点についてお聞きしたいんですが」

証人=「手錠はほとんどかけたことがないけれども、かけたというのは留置場から調べ室に出して来る場合、あるいは調べ室から川越の房に、あるいは狭山の留置場に連れて行く場合に係がかけたという風に思ってます」

被告人=「狭山にいる時、手錠を、片手錠で、右手で字を書くものですから、左に手錠をかけて、両方とも左にかけまして、何故かけるのかと言うと、昭和二十八年頃、電車転覆事件の時に手錠をしなかったもので逃走されたことがある、お前は逃げるからと、手錠は片手錠は必ずかけた、そしてそのひもは椅子に縛っておくということでほとんど、両手錠はないけれども片手錠ではあったんじゃないですか」

証人=「私は調べ中にそういう何はないと思います。取調べ中には」

被告人=「この前、関さんが立ってご証言されたんですけれども石川は逃走をすると、自分でもそういう考えが急に起こるかも知れないから椅子のところへひもを縛っておけよということを関さんがそう言われたということをご証言されているんですけれども、自分はいつも椅子のところに縛ってあったから、自分も関さんと話をする時に、自分は、関さんに話したと思うんですが」

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裁判長=「そういうことを認識しているかと、目で見ていたか、そういうことをしろと関に言ったことがあるかと」

証人=「そういうことは全然ありません、言ったことも見たことも。長い期間中ですけれども初め狭山におった時じゃないですか」

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被告人=「狭山におった時は関さんの調べはないんです」

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裁判長=「いつでも構わないけれども片手錠をして調べてることを見たことない」

証人=「なかったですね。狭山の時はわからないけど」

裁判長=「あなたが立会った時に片手錠をあなた認識したことはあるかどうか」

証人=「私の調べの時はないと思います」

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被告人=「次に、新聞記者が調べ中に周囲にいたかいないかの点について、狭山で結構ですけど、取調べ中に新聞記者が調べ室の付近に来ていたでしょうか」

証人=「来ました。来たためにわぁわぁわぁわぁするので石川君も聞こえたと思いますね」

被告人=「取調べ中にカーテンを張って取調べたことが一回か二回あると自分は思うんですけれども」

証人=「あります。記憶あります」

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裁判長=「取調べ室というんだけれども、ただ今の報道陣の話だが、建物の中に入って来て取調べの状況を窺うというのか、建物の外という意味なのか」

証人=「それは狭山署でありまして、取調べにならないというので川越の分室ならば大丈夫だというので分室の周囲を特別に警戒させる巡査を立てたんです」

裁判長=「それはいいが、狭山署ではあったんですね、建物の中に入って来ることが」

証人=「はい、そうです」

裁判長=「川越では取調べを分室の中に報道陣が入って来て取調べ状況を窺うということがあったんですか」

証人=「取調べの中には入って来ないんです。外です」

裁判長=「狭山時分には窓の外に集まって来て取調べの妨げになるということはあったんですか」

証人=「ありました」

裁判長=「その時にカーテンを張ったの」

証人=「カーテンは川越の時じゃなかったかと思いますね」

裁判長=「狭山じゃなくて川越の時に屋外の方に来て取調べ状況を窺うので取調べの妨げになると、カーテンを下ろしたことがあると」

証人=「はい」

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被告人=「河本検事の取調べ状況についてですけれども、自分は狭山警察で逮捕されてから検事に大体、六、七回調べられて、そのほとんどが、テーブルの上に尻をのせて調べるというそういうことがあったことを長谷部さんご存じですか」

証人=「私は立会わないから検事の取調べは存じません。全然承知しておりません」

被告人=「もちろん立会わないけれども自分はこういう調べ方をされたと長谷部さんに話した記憶があるんですけれども」

証人=「私は聞いたような記憶がないんです」

被告人=「清水利一さんが同席していたことは。狭山で」

証人=「はい」

被告人=「その人が五月公判の時にそういう話を聞いているということを証言しているんですが」

証人=「それは清水警部は当時主任官ですから、皆の部下からの報告を受けてるから聞いているかも知れません。私はどうも聞いたかも知れないけれども、今のところは記憶ないんですね。検事さんの分について、どういう調べをしたかについては」

(続く)