【公判調書2543丁〜】
「第四十九回公判調書(供述)」
証人=岸田政司
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福地弁護人=「前回の証言で、鑑定をするに当たって警察の方から石膏が三つと地下足袋が一足来たという風に言いましたね」
証人=「はい」
福地弁護人=「(前同押号の二十八の一の地下足袋を示す)その受け取った地下足袋はそれですか」
証人=「そうです」
福地弁護人=「あなたは鑑定をするに当たってそれを見ているわけですね」
証人=「依頼されてから見ました」
福地弁護人=「先ほど裁判長の問に対して、あなたは石膏から判断して地下足袋には破損箇所があるだろうと推定したと言いましたね」
証人=「はい」
福地弁護人=「それから、先ほどの証言で、五の3の石膏の足跡はズレているという風に言いましたが、そのズレの方向は石膏に向かって左から右ということでしたね」
証人=「そうです」
福地弁護人=「大体平行ですか」
証人=「平行だろうと思います」
福地弁護人=「はっきり言えないのですか」
証人=「ええ」
福地弁護人=「上下の可能性もあるのですか」
証人=「上下の可能性は薄いと思いますね」
福地弁護人=「薄いというと上下の可能性もあるのですか」
証人=「やや斜めかも知れません。横にズレた可能性が強いですが若干斜めになっているかも知れません」
福地弁護人=「(前同鑑定書の鑑定図第十六図を示す)それは非常によく取れている足跡だと書いてありますが、それはどこで取った足跡ですか」
証人=「Aの7とかAの8とか皆同じ時に同じ付近で取りました」
付近弁護人=「同じ土の上ですか」
証人=「そういうわけでしょうね」
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裁判長=「現場の土を持って来て、ある範囲に撒き地下足袋を履いてその上に足跡を印象させたということですが、現場で採取した足跡と同じようなものは簡単には出来ないが、出来る場合もあるわけですね」
証人=「はい」
裁判長=「その土の上で鑑定図第十四、十五、十六、十七、十九図の足跡印象を五回やった内で、現場から採取した足跡と非常に似たものが一回出来たというわけですか」
証人=「そういうわけです」
裁判長=「実験する場合、普通どのくらいのパーセンテージで出来ればこれは同一だと考えていいという風な確率があるのですか」
証人=「同じように体重もかかった時に同じように出来るのではないかと思うのですが、何回という確率というものは一言に言えないです」
裁判長=「たとえば千回ぐらいやったら丁度同じようなのが出来たら」
証人=「それほどのことはないでしょうが」
裁判長=「どのくらいで出来れば実験上いいのではないかと言える常識があるのですか」
証人=「この場合、いろいろと踏んで見てたまたま傷の部分、竹の葉模様の下のあの辺のところが同じように出たわけです。他のは出なかったということなのです」
裁判長=「存在する傷が出ないという場合は考えられるわけですね」
証人=「ええ」
裁判長=「傷が存在しないけれども何千回もやっているとそういう傷跡が一回ぐらい出るということがありますか」
証人=「そういうことはまずないと思います」
裁判長=「ないという風にあなた方は考えているのですか」
証人=「ええ」
裁判長=「傷があるから何回かやっているうちに出るのですか」
証人=「はい」
裁判長=「ないものはいくらやっても出ないという風な常識を持っているのですね」
証人=「はい」
裁判長=「足跡の鑑定をする人は沢山いるが、そういう人がやった実験とか鑑定の結果を見ているでしょう」
証人=「はい」
裁判長=「そういう場合に、重ねて何回もいろいろな材料でやって、そのうちに一つ現場のものと非常に良く似た足跡が出来ればこれは同じ履物の跡だということが確言できるのですか」
証人=「これは現場の泥を使用した時にたまたまそれが出来たのですね。他の時にも結構それと同じようなものが出来たのもあるのではないかと思うんですね。鑑定書に貼ってある写真にもですね、この場合は現場の土を使った時にそれが一番よかったということを謳ってあるわけです」
裁判長=「鑑定書にはもっとたくさん実験をした内のいくつかを載せたに過ぎないのですか、それとも実験した全部を鑑定書に載せたのですか」
証人=「鑑定書に載せただけではないです。まだまだやりました。踏んで具合が悪ければ石膏にまで採取しませんでした。踏んで歩くことはもっとしました」
裁判長=「どのくらいの回数したのですか」
証人=「歩くのですからずいぶん歩きますね。三十分も歩くのですから相当歩けます」
裁判長=「どのくらいの広さに現場の土を撒いたのですか」
証人=「三・三平方メートルぐらいです」
裁判長=「一度踏んでみて上手くいかないと思うと消してしまうのですか」
証人=「そうです。それでまたやって具合が悪いとまた消してということを繰り返してやりました」
裁判長=「そうすると、少なくとも鑑定書に現れているものの数倍は歩いて見たのですか」
証人=「そうです」
裁判長=「そうして、目で見て現場の足跡と大体同じような足跡が取れそうだというものを石膏で採取してみたわけですか」
証人=「そうです」
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福地弁護人=「三・三平方メートルぐらいのところに土を撒いたのですか」
証人=「敷いたわけです」
福地弁護人=「厚さはどのくらいですか」
証人=「いくらでもありません。初めほかの泥で形を作ってその上に撒いたのです」
福地弁護人=「下に敷いたほかの泥の厚さは」
証人=「三センチぐらいはあったでしょうね」
福地弁護人=「その上に現場から運んで来た泥を撒いたわけですか」
証人=「そうです」
福地弁護人=「一度印象して、上手く取れないとそれはまた重ねるのですか」
証人=「直すわけです」
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裁判長=「しかし、表面に現れている部分は現場の土で、ほかの土と交ざっていない状態だったことは確かですか」
証人=「そうです」
裁判長=「勾配もつけてやったということですね」
証人=「そうです」
以下余白
この写真は今回引用した公判調書の尋問の末尾に添付されていた資料である。肝心の足跡写真は載っておらず、その台紙と考えて良かろうか。
さて、疑惑や謎、不可解など、ミステリー用語が似合い過ぎるこの狭山事件であるが、関連書籍を集め出すとき、どうしても触れてしまうのが"亀井"本であろう。
この本は、かつて飯能市で古本屋を営んでいた「文祥堂」で購入、値段は懐に優しい五百円であった。この店は誠に素晴らしい昭和時代の商いを貫いており、結束本で埋め尽くされた店の中から、この本をその中から救出した記憶は鮮明に記憶している。亀井トムという方の書かれた書籍はやや攻撃的及び断定的であり、彼の主観に貫かれた文章でそれは埋め尽くされている。したがって率直に言えば、この古本の適正価格はやはり五百円ほどが妥当であろう。