アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 618

【公判調書1932丁〜】

                    「第四十回公判調書(供述)」①

証人=河本仁之(三十七歳・弁護士。事件当時、浦和地検検察官)

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裁判長=「証人の学校卒業の略歴を述べてください」

証人=「昭和三十二年四月に司法修習生を拝命し、二年間の修習を終え、昭和三十四年四月検事に任官しました。東京地検で一年、千葉地検で三年、浦和地検で約二年半、東京地検で約二年半、九年間検事をやり、昭和四十三年三月退官させていただきました。その後弁護士をしております」

裁判長=「浦和地検に在勤中にこの事件が起きたことは知っていますね」

証人=「知っております」

裁判長=「この事件についての検察官の陣容は、主任が原検事でしたか」

証人=「はい。原正検事でした」

裁判長=「その次の人は誰でしたか」

証人=「席次でいうと小川陽一検事、その次は滝沢直人検事、それから私でした」

裁判長=「他の地検からの応援はありませんでしたか」

証人=「ありませんでした」

裁判長=「検事としては四人でこの事件を担当したわけですか」

証人=「そうです」

裁判長=「証人は、被告人の供述調書を数回にわたって取ったことは記憶していますか」

証人=「記憶しております」

裁判長=「被告人以外の参考人等の供述調書を取ったこともありますか」

証人=「若干名の参考人等の供述調書を作った記憶はあります」

裁判長=「九年間検事を勤め弁護士に転じたについては特別な理由がありますか」

証人=「私の父も弁護士をしており、ぼつぼつ年だものですから、後継というかそういう意味で退官させていただきました」

裁判長=「他に格別な理由はなかったのですか」

証人=「ありません」

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橋本弁護人=「検察側が石川一雄被告人に対する捜査にタッチし始めたのはいつごろからですか。念のためにいいますが、昭和三十八年五月二十三日に石川一雄君が逮捕されております」

証人=「事件の日が昭和三十八年五月一日だったと記憶しておりますが、その後数日にして被害者の死体が発見され、そのころから検察官が捜査に関与したのではないかと記憶しております」

橋本弁護人=「五月四日に死体が発見されていますが、死体発見のあとですか、それ以前ですか」

証人=「私は途中から応援を命ぜられたので検察官がいつから関与したかということはあまり的確には記憶していません」

橋本弁護人=「あなたが関与したのはいつからですか」

証人=「私が関与したのは被告人が逮捕されて数日後ではなかったかと記憶しています」

橋本弁護人=「五月二十三日の逮捕を第一次逮捕といいますが、第一次逮捕のとき恐喝未遂という罪名が入っているのですけれども、被告人が恐喝未遂の犯人であるというための証拠としてどういうものがあったか知っていますか」

証人=「私はその第一次逮捕には全く関与していないので、どういう疎明資料によって逮捕したかは、記憶しないというより存じません」

橋本弁護人=「あなたは捜査に関与した時点でどういう仕事を割り当てられましたか」

証人=「当初は主として傍証固めというか、参考人の調べに従事したと思います」

橋本弁護人=「参考人というとどういう人ですか」

証人=「最初のころにどういう参考人の取調べをしたかはっきり記憶がないのですけれども、被害者の死体を縛ってあった縄が確かあったと思いますが、最初の段階で縄の出所の関係の参考人に一、二当たったような記憶があります」

橋本弁護人=「その縄の出所の参考人については供述調書を作りましたか」

証人=「作ったと思います」

橋本弁護人=「その参考人の名前を覚えていますか」

証人=「名前は記憶していません」

橋本弁護人=「どの辺に住んでいた人か覚えていますか」

証人=「確か車で出張して調べた記憶がありますが、立川だったか、三多摩方面の人だったと思います」

橋本弁護人=「中川ゑみ子という主婦の人ではありませんか」

証人=「名前ははっきりしませんが主婦の人でした」

橋本弁護人=「その人の供述調書を作成したのは五月二十三日より四、五日のちごろと聞いていいわけですか」

証人=「四、五日というか、とにかく数日後という風にお答えしたいと思います」

橋本弁護人=「その参考人がどういう供述をしたか記憶にありますか」

証人=「供述内容については今はっきりした記憶はありません」

橋本弁護人=「参考人に聞いたのは荒縄の出所ですね」

証人=「そういう風に覚えています」

橋本弁護人=「それからどういう仕事をしたか時間の順を追って述べてください」

証人=「そのほかにも二、三関係の参考人の調べに当たったように記憶していますが・・・・・・」

橋本弁護人=「二、三の参考人というのは事件のどの部分に関係のある参考人ですか」

証人=「その辺のところははっきりした記憶がありませんが、とにかく傍証固め的なことだったと思います」

橋本弁護人=「物の出所あるいは用途などに関する参考人ですか」

証人=「そういうことであったと思います」

橋本弁護人=「その物は何か記憶ありませんか」

証人=「何であったかはっきりしません」

橋本弁護人=「やはり供述調書は作成していますか」

証人=「調べる都度作ったと思いますからおそらくは作っているだろうと思います」(続く)

                                            *

○文中に滝沢直人検事なる人物が登場しているが、この方の名が、意外にも衆議院にて提出された質問主意書に見られ、その質問内容も非常に興味深いものだ。日付は平成四年十二月九日、提出者は鈴木喜久子とある。一部を見てみよう。

『七、 一九六三年七月三日付『朝日新聞』埼玉版には、「警官エキストラで・ロケさながらの検証」という見出しで、石川一雄氏の自供に基づく実地検証が七月四日午前十一時すぎから浦和地検の滝沢弘検事、特捜本部の青木一夫・諏訪部正司両警部らの指揮でおこなわれたことを報道している。そのなかで、「死体をつるしたイモ穴が調べられた。警官がナワで体をしばられて穴につり下げられ、普通の男の力で引上げられるかどうかなどが調べられた」と書かれている。また、「八ミリ映写機で撮影するなど映画のロケーションさながらの検証」とも書かれている。これは自白の信用性を判断するうえで重要な資料と考えられ、この「つり下げ実験」の模様を撮影した八ミリフィルムも存在するはずである。
この実地検証の記録および八ミリフィルムは現在、どこに、どのように保管されているのか。
弁護団からの要求があれば開示するべきだと思うがどうか。

右質問する。』

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まずは、このような情報が新聞記事として掲載されていたとは知らず、己の低い情報収集能力を恥じる。

上記の、八ミリ映写機まで持ち出し行なわれたとされる実地検証だが、その検証結果は果たしてどうであったか。これは言うまでもなく被告人に有罪判決が出されている以上、単独での犯行および芋穴からの死体の引上げ等は実行可能と判断されたのであろう。しかし実地検証で引上げを担った人物がさぞや怪力の持ち主であったであろうことは、弁護団側の行なった全く同じ趣旨の検証を見れば、それは明らかである。

狭山事件再審弁護団による、死体の逆さづりという「自白」についての再現実験。写真の解説によると、被害者の体重と同じ重さ(54kg)の人形や生体(生きた人間)で芋穴での上げ下げの実験が行なわれ、これは引上げる人間にとっては大変な腕力を必要とする上、引上げられる側、つまり逆さづりにされた人間の足首には百kgの力が加わることが判明した。この加わった力がもたらすのは足首への痕跡であり、細引紐で足首を縛り芋穴に上げ下ろしをした場合、その皮膚には紐の食い込んだ跡や皮のむけた跡が確認できたという。

しかし被害者の遺体にはこのような痕跡は認められず「逆さづりはありえない」と述べたのは事件当時、死体解剖を行なった五十嵐警察医の証言である。