アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 617

【公判調書1925丁〜】

                「第三十九回公判調書(供述)」㉗

証人=中  勲(五十七歳・埼玉県消防防災課長。事件当時、埼玉県警刑事部長)

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山上弁護人=「それから、埼玉の議会の中で、議員が警察関係の責任者を議会に召喚した時に、この捜査は菅原四丁目の特殊部落に対して集中的に捜査が行なわれておる、これは特殊部落に対する予断と偏見、差別に基づく捜査であるということについて、警察の責任者が議会に出て釈明を求められたことを記憶ございませんか」

証人=「ございません。私は責任者ですから本来なら私ですが、私そういう記憶はございません」

山上弁護人=「あなたは、この捜査の責任者ですか」

証人=「一応捜査上の責任者です」

山上弁護人=「五月二日、犯人を取逃した時は責任者じゃないんですか」

証人=「これは、狭山の署長の責任ということでございます。私が特捜本部長になりましたのは、取逃して五月三日特捜本部を設けるにあたって本部長から特捜本部長をやるようにと、本来なら所轄署長がやるわけですが、非常に東京で吉展ちゃん事件等のあとでございますので、本部長が、特捜本部長を私にやれということでございまして、それ以前は狭山の署長が責任者でございます」

山上弁護人=「もう一点ですが、この事件が発生したあと、週刊朝日、新聞でいえば毎日新聞、或いは狭山新聞、そういうものをあなたは忙しくてご覧にならなかった、見なかったというご証言ですが」

証人=「記事は見てます。見てますけれども、とても読んでおられなかった、一応拡げて大きい活字を見る程度でございました」

山上弁護人=「特殊部落に関する記事が新聞に載ったという野本さんという人の解放同盟からの話合いがあったということについて、あなたは特に考慮をなさいましたか、捜査をする上において」

証人=「これは、絶対に左様な差別ということがあってはいかんということで捜査陣にも、全部、幹部を集めて注意をいたしておりましたし、間違ってもそうした問題のない様に、ということで処置をいたしております」

山上弁護人=「野本さんという人の申入れに基いて、幹部を集めて差別的な捜査をしてはならんとおっしゃったというわけですか」

証人=「差別的な捜査と私ども解釈しておりませんでそういったその差別をするようなことを捜査過程においてあってはならないと」

山上弁護人=「そうすると特殊部落という出身者がこの地域におるということは、あなたはご存じなわけですね」

証人=「その時点では知っております」

山上弁護人=「その時点というのはいつですか」

証人=「その抗議を受けた時点です。私は全然知りませんでした。特に私が知っておりますそういう部落というのは、一応集落を形成しておるのが普通ですけれども、石川被告の付近にはそういった状況は全然ないですから、私どもも、そういうことは全然考えておらなかったわけです。捜査の過程で分かってきたんです。或いはご存じないかも知れませんけれども、特に埼玉県におきましては、そういう問題といいますか、もう一般の人自体が知らないというのが普通でございます」

山上弁護人=「石川くんが特殊部落の出身であるということは、どうしてあなた知ったんですか」

証人=「捜査の過程その他で、堀兼地区付近、捜査をしてる付近が、昔むしろ旗を立てて押しかけて来られたんだという話が大分出て参りまして、それで知ったんでございます」

山上弁護人=「誰から報告を受けて知ったんですか」

証人=「誰からというあれはありませんけれども、捜査員の説明を聞いておりますと、そういうことでなかなか口が固いと、堀兼付近の住民がですね」

山上弁護人=「堀兼地区住民の口が固い」

証人=「はい」

山上弁護人=「それは、部落関係から来るというご証言ですか」

証人=「なんか、そういう、昔、むしろ旗を立てて、押しかけたという事案もあるし、うっかりしたことは話せないんだという報告があったんです」

山上弁護人=「するとあなたの判断としては、石川くんが最初、六月二十一日まで否認をし続けたこの態度は、特殊部落の性格から来ておるんではないかという感じをお待ちになりましたか」

証人=「なりません。そんなことは考えません」

山上弁護人=「しかし、そういう報告を受けたんでしょう。特殊部落・・・・・・」

証人=「それは、被害者の付近の住民が昔そういう事案があるので、捜査その他についてもまあ、口が固いという報告を受けております」

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昭和四十五年十二月八日       東京高等裁判所第四刑事部

裁判所速記官  沢田怜子・佐藤治子

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当時の新聞記事。写真は"差別が奪った青春"部落解放研究所・企画・編集=解放出版社より引用。

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引用している公判調書によると昭和四十四年から四十五年頃から、狭山事件は差別問題と絡め、語られるようになっていった模様である。これは被害者殺害、死体埋没、及び脅迫状による恐喝という事実と、部落民による犯罪ではないかという推測に基づく捜査があったのでは、という、言うなれば唯物論と観念論という相反する概念を合体させてしまい、弁護人は無駄に自らの仕事量を増やしていったのではないだろうか。