【公判調書1633丁〜】
第一 遺留品をめぐる問題 橋本紀徳
二、タオル
被害者の目かくしに使用されたタオルは、東京都江東区所在の月島食品工業株式会社が、昭和三十四年から三十七年までの間に作って、お得意先である食品店などに配った八千四百三十四本の内の一本である。
自白によると、被告人はこのタオルを使って被害者を目かくしし、殺害したことになる。被告人はこのタオルをどこから入手したか。
自白には、手ぬぐいと同様、三十八年五月一日の朝出かける際に、自宅の風呂場の針金にかけてあるのを持ち出したものであると述べられている。しかしその日、被告人が自宅の風呂場の針金から持ち出したことを証明する証拠は・・・自白のみしかない。つまり、風呂場から持ち出したと云う事実を証明する証拠は何もない。遡って、そもそも五月一日の朝、風呂場に問題のタオルがかかっていたものであるかどうかもわからない。これを証明する証拠もない。さらに遡れば、月島食品が被告人宅に問題のタオルを配布したことはないのであるから、被告人宅に果たして問題のタオルが存在したかどうかも不明なのである。これも自白以外、証拠がないのである。
自白によると、被告人が三十三年から三十六年の間、東鳩製菓保谷工場に勤めている折、野球の試合に際してタオルを何本かもらい、畳んだまま母親に渡したことがある(六月二十七日付検事調書)。しかし、タオルは畳んだまま母親に渡したのでどんなものか見ていないと云うのであるから、被告人がもらってきて母親に渡したと云うタオルがどの様なものであるかは不明である。検察官は、間違いなく問題のタオルが被告人宅に存在したのだと立証することは出来なかったし、また立証もしていない。検察官は証明のかわりに、ここでも単に推測をするだけである。推測は、東鳩の保谷工場は月島食品と取引があって、毎年五本くらい同社のタオルをもらい、さらに同工場野球部の親善試合の折には、その都度、五十本くらい特別にもらい、野球部員全員に参加賞としてくれていた。被告人は同工場の野球部員であるから、当然被告人にも右タオルは行っている筈である。つまり、被告人宅にも問題のタオルが存在していた可能性はある、と云うのである。
しかし、以上は証明ではない。月島食品と東鳩間に取引のあること、月島が東鳩にタオルを配布したこと、配布されたタオルを野球部員に配ったこと、被告人が野球部員であったこと、ここまでは一応証明されている。しかし、被告人が確かにタオルをもらったかどうか、もらったタオルを自宅に持ち帰ったかどうか、母親に渡したかどうか、自宅に持ち帰ったとしても、そのタオルが持ち帰った時より三十八年の五月一日の朝まで、被告人宅に存在していたかどうか、そしてそれが同日の朝、風呂場にかけられてあったかどうか、これらは全く証明されていないのである。我々に分かるのはせいぜい被告人宅に問題のタオルが存在したかも知れないし、存在しなかったかも知れないと云うのみである。間違いなく存在したと云うものではない。単なる推測でもって、これまた手ぬぐいと同様、重要な犯行用具であるタオルの出所を曖昧にしておくことは許されない。
本件のタオルと同様のものは、八千四百三十四本も作成され、数年の間にわたって関東一帯に配布され、狭山市内の月島食品のお得意先九軒にも配られていた。相当数が狭山市内にも出廻っていたことが確実であり、多数の人が本件と同種のタオルを手に入れる可能性を有しているのである。原判決は帰するところ入手可能性を以て、被告人有罪の一資料としたのであるが、このような態度は最も深く刑事訴訟法の本義にもとるものであると云わなければならない。
*次回 「三、細引」に進む。
目隠しに使用されたタオル。(写真は“無実の獄25年狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社”より引用)