アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 497

【公判調書1611丁〜】{更新手続における証拠に関する意見(第三十七回公判)}

三つの「証拠物」                                  弁護人 宇津泰親

この狭山事件の特徴の一つは、被告人の一審有罪判決のいわばキメ手は、被告人の自供に基づいて被害品が発見されたということにあった。原判決の理由を一読してそれは明らかである。しかし弁護人は、一審当初より、被告人の自白とその自白に基づく「被害品」の「発見経過」そのものに矛盾、不合理があること、自白が虚偽であることを極力主張し無罪を要請した。当審のこれまでの事実調べの結果、被告人の自白の虚偽がますます明らかになったと言わざるを得ない。

以下、被害品といわれる鞄、時計、万年筆がいずれも被告人の自白に基づいて発見されたという、その「発見経過」そのものに重大な疑惑があり、捜査当局による偽装がうかがえるという点を指摘するものである。そのことは、とりもなおさず、被告人の自白の虚偽を明らかにする所以でもある。

〈 鞄 〉

一、当審の証拠調べの結果明らかになった最も重要な事実の一つは、被告人が関源三に対して、いわゆる三人共犯説の自供をしたという時期の問題である。自供調書の上では六月二十日付である。この調書は、三人共犯の筋書を書いているほかに、終わりに一言、鞄の捨てた場所は関さんが今度来たとき地図を書いて教えるなどと書いている。そして翌六月二十一日付の関調書一通、青木調書二通がある。その関調書では、自転車の紐も鞄も一緒におっぽっちゃった、と言っており、鞄を捨てた場所を教えるといってワラ半紙に万年筆で略図を書いたとなっている。

ところが青木調書では、鞄と本、紐を捨てた場所は、別々のところだと言いかえている他、鞄を捨てた場所の図面を書き改めていることになっている。尚、この青木調書は、珍しく取調時刻が午後五時と念入りに表記されている。

しかし、六月二十日、二十一日の段階で、こういう内容の自白があったというのはウソである。まず当審の法廷で被告人は、自分が関源三に対し、三人でやったと言い出したのは二十三日頃だったと繰り返し述べている。そしてまた、二十日ではなくて二十三日頃だったということの根拠を被告人は次のように述べている。ここでは第二十六回公判における彼のいうところを聞こう。

六月十七日の川越移監、十八日と二十日弁護人との接見、二十日の裁判官の勾留質問、そしてそのいずれにおいても犯行は否認していた。これらはすでに明確な事実である。さらに次の事実が追加される。それは、被告人は川越へ移ったのち、警察のいわゆる箱飯が臭いことに端を発して絶食をしたという事実である。この絶食の始期、期間、と自白の時期との関係が、ここでの最も重要な問題なのである。

*次回、二、の引用に続く。