【公判調書1612丁〜】
三つの「証拠物」 宇津泰親
〈 鞄 〉
二、絶食を始めたのは六月十九日か二十日からだと被告人はいう。絶食して二、三日経った六月二十三日頃、はじめて関源三に、三人でやったと言い出したという。この間警察は、医者を呼んで被告人を診察したとも言っている。
この六月十七日に川越に移ってから、三、四日経った十九日か二十日から絶食を始め、絶食を始めてのち二十三日頃、関源三に三人でやったと述べたという記憶は正確であり、極めて信用できる十分の根拠がある。すなわち、当審第五回公判で関源三証人の証言がそれである。関源三は、川越に移ってから被告人に会ったが、その会った時期は、被告人が三日くらい飯を食わないという話を聞いていたときだと証言している。被告人は、川越に移った途端、絶食を始めたのではない。絶食するに至った理由、経緯について被告人は当法廷においてまことに具体的に述べている。
川越第一夜は箱飯を少し食ったが臭いため残した。次の日、青木一夫が(注:1)三食ともパンを買ってもらって食べた。その後長谷部課長に話して、警官と同じ飯を食べたが、斉藤という警官に、箱飯が臭ければ食うなと言われたのに腹を立てて絶食をするようになったというのである。
以上の事実は、被告人のいう、関源三に三人でやったと言ったのは六月二十三日頃だという当審供述を極めて強く裏付けるものである。と同時にそのことは、六月二十日付、二十一日付の自供調書の成立関係が極めて怪しくなる。さらにこの一事は、被告人の自供調書全部の作成経過全体について、甚だ濃厚な疑惑を投げかけないではいないのである。
さらに言えば、特に六月二十一日付の関源三、青木一夫の各調書の成立が怪しいということは、六月二十一日夕刻六時四十分、関源三らによって捜査発見されたという鞄は、被告人の自供に基づいて捜索発見されたものでは絶対にないということである。
*次回〈鞄〉三、へ続く。
(注:1 )の “青木一夫が ” という表記は、その助詞だか格助詞だか分からんが、「が」ではなく「に」が正しい表記と思われる。ここでは被告人の食事について語られており、青木一夫の食事に触れているわけではない。“ 青木一夫に ”と表記すれば前後の文脈とも合う。ただし、引用は原文通りとした。