アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 393

【公判調書1396丁〜】ここに記された供述調書の内容は、狭山事件が発生しなければ浮上することは無かったであろう事柄である。いや、物好きならば、古書店を巡り「狭山市史、歴史・郷土編」を四千円位で入手し既読かも知れぬ。さてこの緊急事態に老生は宝焼酎お湯割りの飲酒を停止、それにかわり北海道産酒造好適米100%・特別本醸造・男山を器に注ぎ、三日前から仕込んでいたおでんを読書専用ちゃぶ台上へ配備、まずは出汁が染み琥珀色に変色した大根を食す。たっぷり塗ったカラシでむせかえるが、茶褐色の茹で卵を頬張り、味覚のバランスを取る。今回のおでんは利尻昆布で出汁をとったりと、手間がかかっているが、狭山事件とは一切関係無い。

                                      供述調書

住居   狭山市柏原163*番地  

農業   野口  清之凾

明治二十六年六月四日生(七十一才)

右の者は昭和三十八年六月二十七日、住居において本職に対し、任意次の通り供述した。

一、私は、狭山市入間川二一*九番地 ・農業・大野進治の叔父であります。大野進治の祖父の大野福太郎が、大正五年頃、入間川四丁目に現在の三柱神社の社殿を建立しました。この神社のことを普通荒神様と呼んでいます。荒神様は蚕の神様で、毎年五月一日が祭礼の日になっております。蚕の神様でありますから参詣の人はほとんと蚕をやる農家の人達です。

二、去る五月一日の祭礼にどのくらいの人が参詣に来たか、とのお尋ねでありますので次に申し述べます。荒神様の土地も建物も大野進治の所有です。荒神様の世話人入間川の大野新平、大野市朗です。私は大野進治と親類の間柄であります関係で、昔から荒神様の祭礼には立ち会って世話人のようなことをやっております。このようなわけで、去る五月一日の祭礼日にも行って社殿に座っておりました。祭礼が始まったのは午前八時頃で、終わったのが午後六時頃でありました。毎年祭礼には“いばやし”を頼んで来て賑やかにやったのでしたが、今年は大野進治が市議会議員に立候補し、その投票日が四月三十日であった関係で手不足のため、“いばやし”は出来なかったのです。ただ、祭り気分を盛り上げるため流行歌等のレコードをスピーカーで流しただけにしました。

三、露店は、だんご屋二店、ざる屋二店、だるま屋一店、玩具屋一店、植木屋二店、綿菓子屋一店、かざり屋一店くらいであり、この数は例年の通りでした。参詣人は蚕をやる農家の四十代以上のおかみさんが大部分でした。三十代以下の男の人などは殆ど参りません。オートバイや自転車で来るような人は殆ど見当たりません。ただ、自転車に乗って来た人では五十代以上のおじいさんが、数にして二十人くらいの様でした。大部分の参詣人は四十代以上のおかみさんですが、これらの人達は毎年そうですが、十人ぐらいかたまって来ますので、入間川駅に到着する電車やバスに乗って来た人達だと思います。これらの一団の人が参詣する間には神社の近所の人や自転車で来るおじいさんが一人くらいづつ、ぽつりぽつりと来る状況です。

四、私が知る範囲では、荒神様を中心にして、北方は霞ヶ関、西方は水富、東は大東(川越市)、南方は入曽、所沢、の農家の人で、それより以遠の人は参詣に参りません。最近は養蚕家が少なくなったので参詣人も少なくなりました。五、六年前は八〇〇位の御札が売れましたが、今年は500位しか御札が売れなかった様です、売れた御札の数量は、大野進治のところで正確にわかります。又、今年は選挙があった直後だし、天候が悪かったので余計参詣人が少なかったのだと思っています。参詣に来てもお札を買わない人が十人に三人くらいいると思いますので、参詣人の合計は七〇〇人及至八〇〇人であったと思います。人出の多い時間は午前十時頃から午後三時頃までの間です。荒神様の社殿で見ていて、脇の道路を引っきりなしに参詣人が通るという様なことはなく、私達は、駅の方向から荒神様に向かって歩いて来る人を見て、ああ、あそこに又来たな、などと言って参詣人を待っていた様な状況です。                                                          野口  清之凾

右の通り録取して読聞かせたところ、誤りのない事を申立て署名指印した。

狭山警察署助勤  埼玉県警本部捜査第一課  巡査部長    梅沢   茂  印

(続く)

*この調書は、事件発生日である昭和三十八年五月一日に石川一雄被告人が三柱神社(荒神様)付近を通ったとの供述に基づき、当日の祭りの状況を明らかにするため関係者に事情を尋ねた、と捉えてよいだろう。祭りの詳細は上記の通りであるが、参詣に訪れた人で石川一雄被告人を目撃した者は皆無なのだ。もしかすると事件に関わりたく無い為、目撃しているけども黙っている、という可能性も考えられる。これは当時、被害者の兄も週刊誌のインタビューで語っており、誌面は目撃した方がいるはずなので、是非名乗り出て欲しいと締めくくられていた。老生は、事件とは別にこの神社の成り立ちなどが気になっていた事から、今回引用した調書はその疑問に全て答えてくれ非常に気分が晴れた。そして願わくば、五月一日の祭礼を是非とも復活させて欲しい。狭山市の歴史に刻まれた養蚕業、その蚕の神様を祀ろうではないか。世話になった昆虫を労う行為は至って健全である。昆虫が相手なので間違っても、お布施や献金を強要されることは無い。