アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 391

【公判調書1393丁〜】

○供述調書

住居  西多摩郡福生町熊川二八*番地  無職   中川ゑみ子

当二十八才

右の者昭和三十八年七月二日供述人宅において、本職に対し任意左のとおり供述した。

一、私は中川昇一の妻です。

二、今年の五月一日、先月二十四日迄住んでいた、狭山市入間川二八六一番地居宅で縄を盗まれた状況について申します。判りやすい様に私方付近の状況とその縄の状況を図に書いたから提出します。

○この時供述人は見取図と題する図面一葉を作成提出したので、これを本調書末尾に添付する。

縄のあった場所、その状況等はその図面に詳しく書いた通りです。縄を張ったわけは椎名さん方の大工に私方の花壇を踏まれない様にする為です。縄を張った杭は私方にあった建築材料の残りです。上の縄は椎名さん方西隅に張ってあった縄で、下の縄と針金は、椎名さん方の材木の束を結えてあったものです。下の縄の方は真新しく、上の縄も少し色が黄色くなっていた程度で、まだ新しいと云ってよく、どちらもとにかく古い縄ではありません。針金も新しく銀色をしていました。

三、盗まれたのは、今年の五月一日夜六時以後、二日の朝八時頃までの間であります。それは一日の午後六時頃、私が雨戸を締めた時は縄が確かに張ってあったし、二日の朝八時頃雨戸を開けた時、針金だけ残して縄全部が無くなっているのを発見したからです。五月一日であることは、メーデーの日だったからはっきり覚えています。縄を盗まれた後の針金は、杭に巻きつけた方はそのままになっており、縄を引っ掛けた方が地面に落ちていました。私は近所の子供のいたずらかと思い、家のまわりを探してみましたが、見当たりませんでした。この縄は杭に堅く結んでおいたから、わざわざほどかなければ、風などでは外れる筈はなく、全部ほどいて外すには四、五分かかると思います。

(当時の状況)・・・続く。