アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 385

【公判調書1378丁〜】(実況見分調書の続き)

この時本職は、鑑識係司法巡査・三沢弘をして、ここの境界線を写真撮影した。

4. この境界線の西の杭から数えて三本目と次の四本目の杭の間の境界線のそばに「バラ」の木があり、この間を測ると三.四〇米であり、さらに前記「バラ」の木からこの境界線の東端の杭までの間は六.三〇米であった。

この時本職は、立会人中川ゑみ子に対し本職らが用意していた、太さ直径約一.五糎と、約一糎との荒縄を提供し、どのように荒縄を張ったか、これを再現させた。

立会人中川ゑみ子は、西の端の杭に太い荒縄(直径約一.五糎)を一巻き巻きつけ、そこで結えてから次々と杭にひと巻きずつ巻いて張り、東の端の杭に二巻きして、ここで結えた。余った縄を切った。この位の太さの荒縄をこのように張った。次は、東の端の杭に細い荒縄(直径約一糎)を一巻きまいて結えて、次々と杭の下段に一巻きずつ巻いて、五本目の杭に巻いた所で縄を切りここで針金とつないだ、と申し立てていた。

この時、本職は、鑑識係司法巡査・三沢弘をして立会人中川ゑみ子が境界線に荒縄を張った状況を写真撮影した。

立会人中川ゑみ子が境界線に荒縄を張ったのを実測してみると、

(一)上段に張ったものは一二.〇七米

(二)下段に張ったものは    七.八〇米であった。

この時本職は、立会人中川ゑみ子に対し境界線に張ってあった荒縄は何時、被害にかかったか、荒縄の張った結び目が残っていたかどうかについて説明を求めた。

立会人中川ゑみ子は、「五月二日の朝八時頃被害にかかったことを知った。張った縄は結えたものをほどいて持ち去ったのか少しも残っていなかった。その后二日経った時、近くの畑中に女高生が殺されて埋めてあったことを知り、それから死体を荒縄て縛ってあったということを新聞を見て知った時、私は、家の境に張ってあった荒縄で死体を縛ったものと思った。荒縄だったら、その当時建築中であった椎名稔方の建物の中や、その付近にも荒縄が散らばっていた」と申し立てていた。(以下、次回に続く)

写真は狭山事件資料より転載。