【公判調書1365丁〜】
中田直人主任弁護人(以下、弁護人と表記)=「第一九四〇丁の図面の上でほかの地図を書き、それが下に写ったという様なことはないのですか」
石川一雄被告人(以下、被告人と表記)=「あるかも知れません」
弁護人=「実際にそういうことがあったかどうかという記憶は今のところありませんか」
被告人=「ありません」
弁護人=「(昭和三十八年六月二十五日付被告人の司法警察員青木一夫に対する供述調書添付の図面2“記録第七冊第二〇九二丁”を示す)」
被告人=「これは鉛筆みたいので全然芯の出ないのがあって、それでやりました」
弁護人=「先が鉄とかセルロイドみたいなもので尖っているものですか」
被告人=「ええ。そういうのを持ってやったです」
弁護人=「誰が」
被告人=「多分、諏訪部さんではなかったかと思います」
弁護人=「これは六月二十五日付で、この日付通りならばあなたは川越へ行っている時なのですがね」
被告人=「はい」
弁護人=「川越の時にはなかったの」
被告人=「川越の時もそういうのを持ったかもしれないけど、ほとんどそういうのはなかったです」
弁護人=「諏訪部さんに川越で調べを受けたことがありますか」
被告人=「ないです」
弁護人=「狭山にいる時に諏訪部さんが芯のない鉛筆みたいなもので書いたことがあるわけですね」
被告人=「はい」
弁護人=「諏訪部さんが書いたのをあなたがなぞったこともあるのですか」
被告人=「あります。ゴム板はやらなかったです」
弁護人=「川越ではそういうことはないのですね」
被告人=「はい」
弁護人=「第二〇九二丁の地図ですが、“石川一夫”と書いた下に指の判が押してあるでしょう」
被告人=「はい」
弁護人=「その下に丸く書いた跡がありますね」
被告人=「ええ。こういうのをやるのはほとんど遠藤さんです」
弁護人=「遠藤さんがこういうのを書いたのですか」
被告人=「そうです」
弁護人=「あなたはその書いた上に指の判を突いたのですか」
被告人=「そうです」
弁護人=「初めから遠藤さんが丸を書いてその上に判を押せというのであなたはその上に押したわけですね」
被告人=「はい」
弁護人=「そういうことではなくて、何もないところにあなたが指印を押して、もう一度その上に紙をかぶせてそれを写したということはありましたか」
被告人=「指印を押せというのも上に書いてあり、その指印をしろというところが下に写っているから、自分で書いてそこに指印を押すのです」
弁護人=「(同調書添付の第二〇九三丁の図面を示す)これはあなたが指印をしたところと、丸が書いてあるところとはちょっと離れていますが、これも丸を書いたのが先ですか」
被告人=「そうです。結局は、前のやつを書くと下に写るのです。今度は自分が写っている線を書き、そうすると指印を押せといって向こうで書く、そうするとおれが押すのです」
検事=「第二〇九二丁の図面の“石川一夫”という字は誰の字ですか」
被告人=「おれが書いたかも知れません」
検事=「その下に書いてある字は」
被告人=「おれが書いたような気がします」
裁判長=「同じ図面に丸の中に指印と書いたのが写っているが、それは遠藤が書いたのか」
被告人=「そうです。長谷部さんもいたけど、長谷部さんは口で言うだけです。遠藤さんがこういうことはほとんどやったです。二枚の紙を重ねて止めて動かないように置いて、遠藤さんが芯のないので書くと下に写るのです。遠藤さんの字はいくらか続けて書いてあるので、あとに書けと言われてもその通りに続けて書けないですよ」
裁判長=「下に写ったあとを被告人がなぞって図面を書いて、そして遠藤が石川一夫指印ということを書いたと言うのだね」
被告人=「ええ。見ればわかる通り、おれは当時こういう字は分からなかったから」
裁判長=「遠藤が先に書くときは何かを見て書くのか」
被告人=「それははっきり分かりませんでした。狭山地図というのはいつも調べられる時はありました」
裁判長=「埋めた所とかは」
被告人=「それは遠藤さんなんかは捜査員だから分かるのではないかと思います」
裁判長=「何かを見て書くのか、見ないで書くのか」
被告人=「見ないで書くのです」
裁判長=「被告人の見ている前で書くのか」
被告人=「そうです。こういう風に書けって。ちゃんとゴム板をやっていて」・・・(続く)
*第二〇九二丁・二〇九三丁の図面資料が見つからず老生としては不本意である。さて今回引用した調書の後半部分では、裁判長も積極的な姿勢を見せている。積極的、つまり真実の追求に対する行動・発言である。この時点において裁判長の脳裏には、冤罪の二文字がよぎったのではなかろうか。狭山事件では裁判長判事が四人ほど交替していると聞いたことがある。積極的な判事と消極的な判事とが入れ替わり結審へ向かう様は、まるで丁半博打の一面を垣間見る気分である。ましてそこには被告人の命が賭けられているのであるから呆れるばかりである。