アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 246

私は『狭山事件公判調書・第二審』の1163丁まで辿り着いた。1163丁の時点でその日付けは昭和43年を指している。西暦で表すと1968年。今年が2022年であるから、私は54年前に記録された裁判資料を見ていることが確認できる。このことを自覚しておかないと、私などは狭山裁判資料に没入し過ぎ、今現在が昭和43年ではなかったか、と錯覚してしまう時があり、すると、あの伝説の三億円事件は今年の12月に発生ではないか、見に行かねば・・・いや私が先に強奪すれば・・・などと妄想が膨らみ、ある意味で危険なのである。さて、本日は事実取調請求書・請求する証拠の番号=24を見てみよう。請求された証人=大宮市日進町・加登 豊。そして証明すべき事実として「昭和三十八年六月二十二日、(証人が)川越警察署分室で被告人を診察したが異常はなく、本件犯行に自供したような様子もみられず、被告人は屈託なく笑っていたので『単独犯行』自供の新聞を見て驚いた事実」とあり、証人への尋問事項は次の通りである。①川越市赤心堂病院に勤務していたことがあるか。②昭和三十八年六月二十二日、被告人を川越警察署分室で診療したことがあるか。その際、被告人はどんな様子であったか。③新聞で被告人の『単独犯行』自供を知ったか。どう感じたか。以上3点である。ざっくり書けば、診察時平静だった被告人が犯行を自供、証人はその落差に驚いた、となろうか。しかし、この証拠番号24番が仮に証明されたとしても、被告人は無実だということの補強には弱すぎやしないだろか。証人が驚いたという事実は、例えば犯行に使われた凶器などの物質的な事実の証明と比べ、心理や感情という観念的な事実の証明であるから、証人が驚いた事実と、驚くまでに至る経緯は『証明』ではなく『説明』に留まる事柄ではないかと、老生は考えるのである。                                                                       

昭和三十八年、ジョンソン基地と呼ばれた場所であるが・・・。