アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 465

【公判調書1571丁〜】

                       「狭山事件の特質」

                                                                     中田直人

11.『被告人が狭山署に留置されている頃は、長谷部警視が清水利一と共に主として取調べに当たったが、再逮捕され川越署分室に移された後は、それまで小川警察にあって東島明の取調べに当たっていた青木一夫と更迭することになった。長谷部証言によると、清水は熊谷の二重犯人逮捕事件の責任者であったから、裁判所に行って無理があったと思われてはいけない、仁保、幸浦が最高裁で崩されたこともあるので、自分が上申して清水を青木と更迭させた、というのである。長谷部が真実、清水についてそのような懸念を持っていたのであれば最初から取調べに当たらせた方がおかしいと言わねばならない。何故、五月二十四日から六月中旬まで清水が被告人の取調べにしたがったのか、最初はそのような配慮は必要ではない、再逮捕からその必要が生じたとでもいうのであろうか。長谷部証言の裏には、慎重な取調べを期したというよりは、世間の批判に対して是が非でも被告人に自白させる、被告人を裁判にかけずにはおかないという切羽詰まった警察の立場を感じさせる。それはともかく、再逮捕と同時に弁護人に対する接見妨害が行われ始めた。再逮捕の日、弁護人の接見が長い時間空費させられた上拒絶され、深夜に至って裁判所の準抗告を認める決定が出され、それによって十八日早朝、接見の機会をようやく得ることが出来たという状況であり、二十日には僅か五分の接見が指定された上、以後一週間接見が指定出来ないと宣言される始末であった。強引な再逮捕に対して再び警察に対する批判を強めたし、新聞は「当局は被告人の黒を確信しており、再逮捕こそ最後の切り札であり自供がとれるかどうかが事件の別れ目」と観測した。そして数日間、なりを潜めていたあと二十三日朝刊から「被告人が一部の自供を始めた」と報道し出した。その内容や扱いが各紙で区々であることは興味深い。ただ、どの新聞も「完全な自供は近い」と匂わせた点で一致していた。                                      

二十四日、各新聞は一斉に被告人が自供した旨を報道し、自供内容としてかなり詳細な記事を載せた。しかし捜査当局が被告人の単独犯行を正式に発表したのは六月二十五日午後に至ってである。続いて被害品の万年筆が自宅から押収され、腕時計も地元民によって発見されたとの報道がなされ、二ヶ月に渡って様々の論議を巻き起こしたこの事件は、ついに解決が訪れたという印象が鮮烈であった。新聞が本件に割く紙面を少なくした頃、各週刊誌は六月末から七月にかけて一斉に大々的な特集を発表した。警察に対する批判が強く大きく、特に再逮捕の際の強引なまでのやり口に眉をひそめた多くの人々も、警察が早くから口にし通した被告人に対する容疑が、遂に被告人の自白によって裏付けられ、加えて自供によって鞄、万年筆、時計が次々と発見されたことを知らされた時、人々は被告人以外に犯人はあり得ないと強く信じ込まされた。

被告人は七月九日、本件、強盗強姦、強盗殺人、恐喝未遂で起訴され、公判は浦和地方裁判所で開かれることとなった』(続く)