「頃」と記載されているが、文脈から見て「項」が正訳であろう。(注3)「はじめの中」は単に意味がわからない。(注4)「ロカール」原文を見てみると・・・・・
狭山の黒い闇に触れる 150
戸谷富之鑑定人 : 『5.欧米における筆跡鑑定の歴史と現状について』「ヨーロッパでも同じような経過で、初期の頃は先ず、類似点を挙げるだけだということは日本の場合と全く同じで、それは"筆跡鑑定と裁判:3"に挙げてある通りですが、割合科学的だと言われ出したのは、最初は結局言葉は著者によって違いますが、筆跡鑑定の要素が相同性と相違性(注1)、稀少性と常同性という四つの要素を十分に討議しなければいけないということがはっきり打出されたのが、一九世紀の中頃から大体今世紀の初めになってからであります。一番そういう文献が見易いのはアメリカの場合なので"筆跡鑑定と裁判:3"九二頁六.アメリカの項(注2)に割合詳しく具体的な例を挙げてあります。それを見て貰えば時代的変遷がよく分かると思いますが、アメリカは初めイギリスの植民地でありましたからイギリスに言われる通りやっていたわけで、はじめの中(注3)は非常に筆跡鑑定に関する見方は軽いわけで、“証拠の目的は、真実の発見のためであるから、客観的に論理立てられ、第三者に納得いくものであれば陪審員が独自の判断を下すのに鑑定は役立つであろう”と、そういうような取扱い方が大体一九世紀ずっと続いていたようであります。それがいわゆる科学的というような言葉が使われるようになったのは、一九一三年に[筆跡に関する研究が科学的なものになってきて、個人の筆癖特徴といったものに関する最近の理論や測定方法が筆跡鑑定の全貌を全面的に変えるようになった。従って結果の証拠能力に関する規定も拡張される必要がある。]一九世紀では殆ど参考に聴いただけであったようなものが、もうちょっとウエイトが大きくなってきたということです。更に一九二八年の法廷での特徴は非常に科学的だと思います。それは[専門家による筆跡鑑定の場合には、最終結論に至る理由が明確に指摘されている時のみ価値がある。よくある事ではあるが、もし鑑定人が、これは被告の書いたものと信ぜられるとか、あるいは被告によって書かれたものではないと信ぜられるだけで、その結論に達する推論が明確に示されない場合は、その鑑定人の意見は価値はなく法廷では一顧をも払う必要がない。理由が明確に述べられているときにはその結論を検討し、鑑定人が挙げている理由を分析し、その理由付けが正しいかどうかを吟味することは法廷の義務である。理由が述べられているからといって、それを鵜呑みにして鑑定人の結論を考慮するというのは不可である。]これが現在のアメリカにおける筆跡鑑定に対する法廷の態度だと思います。こういうことがなければ筆跡鑑定自身も発達しませんし裁判における価値というものも進歩しないのではないかと思います。結局、法廷におけるこういう立場の裏付は何かというと、筆跡鑑定の要素としての相同性と相異性、稀少性と常同性、並びに被検、照合両文書を十分吟味しなければいけないということが一九一三年における鑑定の科学的になったという一つの段階であります。その後の段階がロカール(注4)などが論じているような、もうちょっと近代的科学の方法でありまして、私の友人がソビエット(注5)のある雑誌に、ソビエットでは筆跡鑑定を電子計算機によってやっているという記事を見たという話をしてくれました。恐らく筆跡鑑定の色々の要素をきちんとやろうとすれば膨大なものになりますから、到底人間の手では出来なくなります。従って電子計算機にかけて処理しなければならないようになっていくのではないかと思います。真実の意味の筆跡鑑定が科学的になりつつある、というのはごく最近、この十年とか二十年の段階ではないかと思います。こういったような形で筆跡鑑定がより科学的なものになることを、私自身非常に重要ではないかと思っています。以上で本鑑定事項第一についてその報告を終ります」・・・。今回引用した文面に私は(注)を五つ付けた。(注1)「相違性(原文ママ)」は「相異性」の誤訳と思われる。理由は引用文の下から十八段目に「相異性」と記載されている事と、既に引用してきた報告でも「相異性」で統一されているからである。次に(注2)であるが、原文の字を見てみよう。