アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 151

狭山事件公判調書第二審1024丁。戸谷富之鑑定人の報告が終わり、平岡検事による問答が始まる。平岡検事 : 「鑑定人の言われる稀少性に関係して、余人によって書かれたものではないということを確かめる範囲はどの程度までということになるか」戸谷:「例えば私の顔に、目があったり、眉毛があったり、まつ毛があるということなら誰にでもある似ているところでありますが、これは役に立ちません。但し黒子(ほくろ)などであれば、かなり大きい黒子が特定の場所にあるというのは、これは稀少性がある。しょっちゅう会っている人達にはそういう黒子がない。このように黒子のある位置、大きさなどであれば稀少性があることになると思います。文字の場合でも、ドイツなどでは恐らくもう何百万人位に亘って分類されているのではないかと思いますが、少なくとも何万例くらいまで組織的に調べ上げ、そうして例えば文字の中で横に引く棒の場合、上から入筆して横に棒を引く場合とか、横にすっと引く場合とか、下から入筆して若干上がって横に引くという場合は割合普通に見られる方法ですが、それが一遍逆に入るような入り方というのは非常に珍しい、そういうような基本になる分類の研究がないからちょっと難しくなるのでありまして、そういうバックがなければいけないわけです。私達はしょっちゅう人の顔は見ていますから、例えば黒子というのは人の顔を覚える場合の目印にできるようなもので、何が黒子であって、何が口であり目であるかということが、字の場合に研究する必要があるのではないかと思っています」平岡検事 : 「現在これを実施するとすれば、ある程度広範囲の中から抽出的にでも引出して来て、いわゆる概括的な統計をとるということよりほかにないわけか」戸谷 : 「そうです。それで私は推計学によるわけですが、例えば選挙の時などの場合、全部の有権者から誰を選ぶということを聞くわけでなく、全部の有権者の中か千人なら千人を抽出していけばかなり確実に推計できる。それと同じように、例えば今問題になる被検文書があるとすると、その人の学力とか、普段どの程度字を書いているとか、その専門分野とかそういったような似ているような人を何人か抽出して、その中でそういう筆癖が見やすいものであるかどうかということが、推計学的に言えると思います」・・・(続く)         

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 ( 狭山の黒い闇に触れる:147で取扱うべきだった指摘であるが、写真中央の言葉、“いけわいわけです” は文脈からみて、いや、日本語の文章として、“いけないわけです”が正しい。裁判所速記官の反訳ミスであろう)