アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 60

昭和三十八年六月下旬、青木警察官が石川被告を取調べた際の調書を、昭和四十年十一月、第二審において検察官が取り上げ、証人として出廷した青木警察官に問う。その数々の問いの中から私が気になった箇所を記述しよう。石川被告はすでに六月二十三日、三人犯行説から単独犯行に供述を変えそれを認めいるが、その経過の中で、石川被告が被害者の家に手紙を書いた事実があるか、これを検察官が青木証人に問う。検察官「〜そういった手紙を、あなたは、見たことないですか」青木証人「ちょっと記憶ございません」そこで検察官は、原審記録の該当箇所を証人に示し再度問うのだが、青木証人は手紙の記憶は無いが、しかしそういった供述はあったと述べる。「供述はあった」と述べた背景にはそれを調書に取っていた事実を検察官に示されたからだ。私は釈然とせずに公判調書を読み進めたところ、検察官に代わり裁判長が登場、上記の点に話を戻し青木証人に問う。もしや私と同じ感触であったのか。裁判長「どうも、記録を全部見ても、被害者宅に出したという手紙の所在が判らないんですがね果たして出したのか、出したとすれば、どういう手紙を出したのか。被告の言う供述以外には、どうも判らないのですが、あなたの調書によると、先ほど検事が言ったようになっておる。すると、そういう点について、もう少し取り調べるはずだと思うんですが、被告の言ったことを言いっぱなしにして、そのまま調書にしてあるのは、おかしいと思うんですがね」・・・・全く同感である。青木証人は「どうも今、突然聞かれても思い出しませんが、何か、書類を調べてお答えしてよろしいでしょうか」と返し裁判長の了解を得る。狭山事件裁判ではこのような「おかしいと思う」警察側の証言が多々見られ、しかもそれは私の如き高卒程度の学歴の者ですら明確に分かる不可思議なる言なのである。今回の手紙については後々、果たして法廷で明らかにされるのか記憶に留めておこう。                  

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