あの日の夜を、月だけは知っているのだろうか。
狭山の黒い闇に触れる 5
私自身の頭を整理するためここに記す。狭山事件における脅迫状、それも訂正前の文面について私は興味を持ったが、一般的に知られる文面は執筆者による訂正後の姿である。訂正箇所は三箇所あり一つ目は宛名であり「少時」から「中田」に変更され、二つ目は日付が「4月29日」から「五月2日」に、三つ目は「前(の門)」から「さのヤ」に変更されている。まず、この三点の訂正は文の内容に影響を与えずに済んでいる。つまり相手に子供がいれば、いくらでも対象人物を変えることができる万能脅迫状の作りになっている。次に宛名の書き方が「○嶋少時」の「少時」と下の名前での宛名から「中田○○」とフルネームでの宛名に変更されている。これには重要なヒントが隠されていると思われるので今後も考察が必要である。日付の変更について。犯罪者がそのモードに入っている時は、計画は必ず成功するという自己暗示にかかっている。変更した日付が近接しているのは、犯罪を実行する意識の高まりが継続した状態のためと思われる。次に身代金取引き現場の変更について。ここでは犯人が二つの情報を持っていたことが読み取れる。一つ目は「少時」の家の前に門が存在する事実を知っていたこと。手紙の性質を考えると「前の門」という表現は、それを実際に見た者でなければ記せない表記であり、この辺りも真犯人にたどり着けるヒントがあると思われる。二つ目は「さのヤ」の存在を知っている点である。当時「佐野屋」は看板も出さず地元の人しか知らぬ雑貨屋であったが、刮目するのはその店名のみを表記していることだ。どこの「さのヤ」なのか、いや、知らぬ人間が脅迫状を読んだ時「さのヤ」とは一体なんだ?と思うであろう。取引き現場への親切な案内が略されている。表記にしても「佐野屋」が正解であり「さのヤ」で通じると考えた執筆者は完全に地元の人間である。こうして再び脅迫状を見てみると、その文面に「金二十万円女の人がもツて」との表記があり、その女の人とは被害者(狭山事件)の姉であるという解釈がなされていたが、それは全く違うのではないか。「女の人」との表記は無訂正であるから、「女の人」とは元来「少時」の近親者と考えられるのではないか。この脅迫状は本来「少時」に対して書かれたという事実を踏まえ考察しなければならないのだ。