アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 3

狭山事件における脅迫状の考察に入る。今、私が着目しているのは訂正前の脅迫状、すなわち記された宛名が「少時」であり、場所は「前の門」と書かれている部分である。今回の考察は前者の「少時」に絞る。前回述べたように「少時」とは苗字ではなく下の名前である。つまり「○○少時」、例えれば「佐藤少時」あるいは「高橋少時」などとなる。そこで今一度脅迫状を見ると、封筒には「少時 様」、本文冒頭には「少時  このかみにツツんでこい」と書かれている。両者共に下の名前を書いており、脅迫状本文では呼び捨てにしている。脅迫する相手に対し下の名前で呼び捨てにする、ここに、犯人が「少時」に対する感情や関係性が現れていると考えられる。犯人は「○○少時」を見知っている。具体的には、「少時」が経済的に余裕が無ければ出来ぬ猟銃の許可を受けており、門のある家に住み4才の女の子がいた事実を含め、脅せば、なにがしかの金が取れると判断し事前に脅迫状を作成したと、こう私は考察するのだ。後年起きたグリコ 森永事件において、最初の標的となったグリコに対する脅迫状の宛名には「江崎」ではなく「勝久」と、下の名前が呼び捨てされていた事実は有名であるが、これと同様な印象を私は狭山事件の脅迫状に見るのである。当時の「少時」を呼び捨てにする、あるいは呼び捨てにできる、そんな感情を持った者がこの事件を起こしたのであろう。なぜこう推測できるか、それは訂正した脅迫状の宛名が「中田江さく」とフルネームで記されている事実による。標的を変えると呼び名も変わる。グリコ森永事件の場合も、グリコ以降の恐喝相手に対しては苗字で呼ぶという変化が見られる。むべなるかな、犯罪者の心理は似通っているのだろう。

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脅迫状、左上の訂正箇所に「少時」の文字が・・・。

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少時の文字が書き消され、中田江さくと訂正されている。(写真は、無実の獄25年狭山事件写真集 部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編 解放出版社より引用)