アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 683

(狭山事件裁判資料より)

【公判調書2145丁〜】

                  「第四十三回公判調書(供述)」⑩

証人=中  勲(五十七歳)

                                          *

主任弁護人=「六月二十五日に単独犯であるという捜査発表をした、ということはこの前あなたは言いましたね」

証人=「はい」

主任弁護人=「石川君が自白したということを将田警視から最初に聞いた場所を覚えていませんか」

証人=「覚えていませんが、川越分室ではなかったでしょうか」

主任弁護人=「再逮捕後あなたはこの事件に関してはどこで執務することが多かったですか」

証人=「川越と堀兼だけでしょうか」

主任弁護人=「石川君を川越に移してからもなお堀兼に捜査本部を置いていたのには特別な理由があったのですか」

証人=「ありません。捜査員が相当たくさんいたので川越分室では執務をするような場所が得られなかったというような事情だったと思います。あそこをわざわざ動かさない方がいいのではないかということで引き続き堀兼支所を借りていたと思います」

主任弁護人=「川越分室には随分大きな道場みたいな場所があって執務する場所ならいくらでもあったのではありませんか」

証人=「たくさん機械や何かを持ち込んでおり、コピア(原文ママ)とか電話とかそういうものを移転させるということは俄かに出来ませんのでそのままやっていたと思います」

主任弁護人=「川越分室はそれまで全然使っていなかったのでしょう」

証人=「いいえ、あそこは川越警察の警備係が使っていました」

主任弁護人=「人は誰も住んでいなかったのではありませんか」

証人=「いいえ、小使まで・・・・・・」

主任弁護人=「石川君を川越分室に移してからは警備係をどこへやったのですか」

証人=「警備係はそのまま仕事をしていたのではなかったかと思いますが、はっきりしません。小使さんや何かもいたのですから」

主任弁護人=「再逮捕し、被疑者の調べに集中すべき時期に、調べをする場所が捜査本部と遠く離れていたのでは不便ではありませんか」

証人=「それまで被疑者は狭山署にいたのですから、むしろ川越の方が捜査本部に近いくらいで、そういう意味合いにおいて一向に不便ではありませんでした」

主任弁護人=「捜査本部を移そうというような考えは全然なかったのですか」

証人=「そういう議論は起きなかったと思います」

主任弁護人=「単独犯であるという捜査発表をしたのは六月二十五日と新聞などでなっているからそれはほぼ間違いないと思うが、あなたは先ほど日にちの点ははっきりしないけれども鞄が出て来たのは六月二十四日だという風に言いましたね」

証人=「はい。そう思うのですが」

主任弁護人=「すると、捜査発表をする前ということですね」

証人=「そういうことです。自供だけではちょっとできない、鞄が出て来て一応物証が出たということで第一回の発表をして良かろうという本部長の意向もあり、それまでは竹内署長が主として記者会見をしていたのですが、今度はこういう問題だから刑事部長お前行ってはどうかという本部長の話があって、単独犯だという発表は私が行ってしたように記憶しています」

主任弁護人=「自白によって物証が出たので発表ができるということで発表したのですか」

証人=「新聞社も騒いでいるし、犯行を自供したという発表をしていいのではないかということで発表をしたわけです」

主任弁護人=「その発表をした時期と鞄が出て来た時期とはあまり隔たりがないわけですね」

証人=「発表が確か二十五日のように記憶していますが、鞄が発見されたのはその前日と記憶しています」

主任弁護人=「捜査発表に関してですが、最初の頃はあなたが発表に当っていて、途中で本部長に言われて竹内さんに代わったわけですね」

証人=「はい」

主任弁護人=「竹内さんがずっとやっていたけれども、竹内さんも又発表をしばらくやらなくなった時期があるようだが覚えていますか」

証人=「覚えていません」

主任弁護人=「捜査発表を中止していた時期があったのではありませんか」

証人=「竹内さん時代に、新聞社が発表以外にしつこくいろいろな質問を浴びせるものですから、事実に反するような答弁も時にはあり、こちらから発表する分にはいいけれどもそのほかの関連する事案などにつきいろいろな書き方をされたりするので、なるべく新聞発表は控えようという時期が若干ありました」

主任弁護人=「それは再逮捕に踏み切った時期と時期的には同じなのではありませんか」

証人=「時期は別に関係ないと思いますが、いつ頃だったかはっきりしません」

(続く)