アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 542

【公判調書1711丁〜】

「自白の生成とその虚偽架空」            弁護人=石田  享

四、自白の虚偽架空

(二)自白を否定する物証

3.教科書類とカバン、牛乳ビン等を捨てた場所

自白によれば、最初は、カバンは本が入ったままで一緒に捨てた(6・21付関調書一項)のであるが、6・21付青木第一回調書で別々に捨てたことになり、日を経るに従って別々の場所の間隔が長くなり、最後の7・4原調書では、「本と鞄は別ではありますが、割合いに近い場所に捨てたような気がします」

問、「鞄を捨てた場所と本を捨てた場所とはどの位離れていたと記憶しているか」

答、「私は30m位離れているのではないかと思いますが或いは50m位離れていたのではないかとも思われます」

となっている。しかし、結局自白によれば、本と鞄とは山学校へ通ずる道を隔てて別個に捨てられたものでないことに注目しなければならない。6・21青木第一回調書三項では、本も鞄のそばへ放り出したというだけで、同調書添付図面では「ゴムひも」と「かばん」の捨てた場所が書かれているのみで、教科書類を捨てた場所は全く書かれていない。6・25原第二回調書添付図面(1)に、初めて図面上「本」を捨てた場所というのが登場するが、そこは「かばん」を捨てた場所と書かれている所のすぐそばで、いずれの地点も山学校の方から来れば、道の左側である。6・26青木第一回調書添付の大きな図面によっても、本と鞄はほぼ一緒に同じ場所に捨てたように図示されている。7・1原第三回調書五項には、わざわざ問答式でこの部分の記載がなされ、それによれば原検事は「山学校から山に向かって行き、山に入ろうとする附近の右側五十米位の桑畑と山との間の溝ではないか」と誘導を試みているが、答えは、鞄を埋めた方で、道路から左側の所と記憶している旨の記載であり、誘導を重ねた後の7・4原調書でも、鞄を埋めた場所から三十米ないし五十米という自白の意味も、鞄を埋めた場所は道を左に入って五十米か百米入った所という6・25原第二回調書と対比してみれば、道の左側で鞄を埋めた場所ということにならざるを得ない。7・4原調書及び同調書添付図面によっても同様である。

これに反し教科書類が5・25発見された場所は、道から見てカバンの方とは全くの反対側である。してみれば被告人の自白は、5・25教科書が発見された地点について何ら触れるところがなく、完全に客観的事実に反し虚偽である。

この、本を捨てた旨の虚偽の自白は、終始鞄との関係でなされていることに即してみれば、同時に鞄に関する自白に深い否定的疑問を投げかける。すでに見たとおり被告人は鞄の下から発見された牛乳ビンやハンカチ等について全くの無知であった。教科書を捨てたことについての自白も客観的事実に反し虚偽架空であった。教科書、鞄などに関する自白は、被告人の経験しない事実について、取調官から与えられた知識に基づく空想を述べたもので、虚偽架空のおとぎ話といわざるを得ない。

(写真二点は鞄を捨てた場所に関する調書添付図面)

次回、四へ進む。

袴田事件再審を伝える3.14付新聞。喜ばしいことであるが、しかし油断は禁物である。今月二十日までに検察による特別抗告がなされるかどうか、まだ待たなければならない・・・。