アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 352

【公判調書1306丁〜(1/21)】被告人=石川一雄に対する取調状況および同人の供述経過を明らかにするため、証拠として二十一通の供述調書が請求された。目録記載の順序で引用する。 供述調書(甲)石川一雄   

右の者に対する暴行、強姦、恐喝未遂被疑事件につき、昭和三十八年五月二十四日狭山警察署において、本職はあらかじめ被疑者に対し自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げて取り調べたところ、任意次のとおり供述した。
(一)私に対し只今本年五月一日の行動についてお尋ねで有りますから正直にお話し致します。この事については昨日から何回も聞かれましたが何分にもまず近所の水村志げさんの家へ鳶職で兄の六造と行っていたと言っておりましたがそれは皆うそです。私が何故その様なうそを申上げたかと言いますと堀兼の中田○○(被害者名)さんと言う娘が入間川の高校へ来ていてその帰りに誰かに殺されて、私方より約三百米位はなれた東方の農道に埋められてしまったと言う事件が有り、私が丁度その日遊びに出て夜七時半頃雨にぬれて帰って来たのを父親が知っていて心配し、お前疑われては大変だから近所の水村志げさんの家へ兄の六造と鳶仕事に行っていたとアリバイを作っておけと言われたので私もその気になり、今日まで警察の刑事が来て聞かれてもその様にお話ししておりました。この事は私が直接志げさんに頼みは致しませんが親父が水村志げさんの処へ行ってうまくアリバイを作っておいてくれたかも知れません。
(二)私はその日丁度金を持っておりましたので、つい仕事をするのが嫌になりパチンコでもしようと思い、朝食を食べて家を出、午前七時十分入間川駅を出発して所沢を通り越して西武園駅で下車し西武園の山の中へ行って長靴の中へ敷いて行った新聞紙を出して腰を降ろし煙草を吸って遊んでおりました。そこに約二時間位居てまた西武園駅へ行って所沢まで切符を買い所沢で下車し所沢駅から四百米位行った大通りの右側にある東莫と言う大きなパチンコ屋へ行き二十二番の機械で二百円、玉を買ったら五時頃までに四百五十円現金で稼ぎました。それから残金で五十八番で十分位やりましたがすぐ取られて仕舞いました。
(三)それで私は家に帰ろうと思って所沢駅へ行き入間川駅までまで切符を買い午後七時半頃入間川の駅に到着帰宅したのです。その頃雨が降っておりました。その日私の仕度はカーキ色のジャンバー(木綿)、ジーパン、ゴム長靴でした。私が家へ帰って来たら母さんに何処へ行って来たと聞かれましたのでパチンコをやりに行って来たと言い、今日は四百五十円儲かったと話しましたらそれは良かったと母さんが喜んでくれました。 それで雨に濡れたジャンバーやジーパンを脱ぎ長袖シャツと古っぽい長ズボンに着替え母さんが作ってくれた夕食(御飯にねぎの味噌汁、たくあんの油いため)を食べ炬燵の有る四畳半の間で皆んながテレビを見て居るので午後十時頃迄そこにおりましたら丁度その頃兄の六造が入曽の歯医者へ行って来たと言ってオートバイでびしょ濡れになって帰って来ました。それで間もなく私はお勝手の横の四畳半に行って一人で寝てしまいました。
(四)その日所沢へ行った帰りに誰か知り合いの人に行き会ったかとのお尋ねですが私の近所の人や懇意な人には行き合いませんでした。私が東莫パチンコ店に居る時、パチンコの店中を歩いている左額から頬にかけて傷のある三十五、六才、五尺二寸位土方風の人で赤シャツを着た人がおりましたから調べて見れば判ると思います。又、玉売りをしていた女は顔の丸いポチャポチャした良い娘でした。
(五)次に五月二日の事も正直に言います。その日午前七時半頃起きて朝食を食べ、昼頃までかかって玄関前の犬小屋を作り、昼を食べてから私方の前の川本ヤスオさん二十四才と入間川の映画館へ映画を見に行き、こまどり姉妹の未練心という映画を見て私は涙を流して泣いてしまいました。それでその日の夕方午後六時頃二人で何処へも立ち寄らず帰宅したのです。帰る頃はかなり雨が降っておりました。その晩は何処へも出ずにテレビを見て午後十時半頃やはりお勝手横の自分の部屋へ行って寝てしまいました。
被疑者  石川一雄
右のとおり録取して読み聞かせたところ誤りのない旨を申し立て署名指印した。
狭山警察署刑事部捜査第一課 司法警察員 警部  清水利一