アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 369

【公判調書1348丁〜(20/21)】供述調書 石川一雄

右の者に対する恐喝未遂被疑事件につき、昭和三十八年六月九日狭山警察署において、本職は、あらかじめ被疑者に対し、自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げて取り調べたところ、被疑者は任意左のとおり供述した。

(一)私は、パチンコ店へは入間川で3軒くらい、所沢で四軒くらい行った事があります。入間川ではオリオンパチンコ店、八幡様の近くのパチンコ店、天神様近くのパチンコ店でした。その中では、オリオンが一番多く行ってました。所沢では、東莫や駅前のパチンコ店、安定所の近くのパチンコ店に行った事があり、この中では東莫と駅前が一番多く行っております。本年五月一日は、思い出しましたが、家を出る時は働きに行くと云って弁当を持って出た記憶があります。その弁当は、前に云った様に西武園に行って時間を潰した際、西武園で喰べました。

(三)私は、報知新聞を見た事はありますが、競輪の欄だけしか見ません。それも前日の競輪でどんな組の番号のが配当が多かったかを見るだけで競輪選手の名前等は読めませんし、見ようとも思いません。前日の競輪で配当の多かった番号の組み合わせが例えば5-6だったとすれば、その日競輪で選手の事等は構わずに5-6の組み合わせの車券を買っておりました。それで競輪の予想屋に金を払って聞いた事も無く、選手の名前を覚えていてその選手の組み合わせを買う様な事はしませんでした。私はその他に新聞を何回か買って見たことがありますが、記事を読む事はなく、テレビの番組を見るために買っていました。本年五月十日頃にも新聞を買って番組を見たことがあります。その他に、石田さん方に居る時、平凡という雑誌を買った事がありますが、私は平凡を読む心算ではなく、女の写真等を見る心算でした。然しその雑誌は本屋から買って来て、袋に入ったまま戸門の家にくれてやりました。石田義男から、自動車免許を取る為の本を一冊借りたことがあります。その時は義男が、これ読んで試験の時は○×をつければいいから読んで見ろと云って貸してくれましたが、私はそんな本は読めないのでそのまま持っていましたが、どうなったか判りません。義男は要らないと云っていたので返さなかったと思います。石田方を辞める時は、持って帰らなかったので石田方に残っているか、或いはどうかなってしまって無いかも知れません。

「問」君は、子供、命、東西武園、池、刑事、知る、友の漢字を書けるのか。

「答」私はそんな漢字は書けません。然し、誰かが書いていて見せてくれれば真似て書く事位出来るかも知れません。

「問」住所、氏名は漢字で書けるのか。

「答」それは書けます。

(三)東鳩に居た頃の恋人の海老沢きく江とは、三十六年一月までしか付き合っておりません。その理由は私の友人の小林よしおが三十五年暮の忘年会の時、海老沢に酒を飲ませて送って行った際、無理に海老沢と肉体関係をした事が判りました。その事は三十六年一月三日だと思いますが、海老沢が泣きながら私にその事を言って謝り、別れてくれと云って、私に皮の手袋、ライター、時計をくれました。その時から海老沢とは交際しておりません。本年一月頃、石田さん方で働いている時、海老沢に会いに行くと云って休んだ事がありますが、勿論それは嘘でした。休むのに適当な理由を付けて休んだだけです。海老沢から鎖についたメダルの様な物を貰ったと云った事がありますが、それも拾った物で嘘を云ってからかったらだけです。

(四)石田さん方に居る頃、農家から頼まれて豚に踏ませる葉を所沢に取りに行った事が一回あります。同じ様に豚に踏ませる為の葉を取りに行った事が、佐野屋の前の農家に五、六回、松本さん方から二、三軒下の家に行った事が一回ありますが、その他には葉を取りに行った事はありません。

「問」中田○○(被害者名)さん方の隣に藁か菜っ葉を取りに行った事はないか。

「答」それはありません。

(五)中田○○(被害者名)さん方は同人が殺された後テレビを見ていたところ家の前に花輪が並べてある場面が写りました。そのテレビを見て私はあの付近を何回か通っているので、ああ、あの家かと判りました。それで、その前から中田○○(被害者名)さんやその家を知っていたのではありません。そのテレビを見て判った中田○○(被害者名)さん方の隣に藁や菜っ葉を取りに行った事は無いと云えるわけです。

(六)中田○○(被害者名)さん殺しの事件があった後で、石田一義さんが入間四丁目に来て、私がキャッチボールをしていた時、私に「お前がやったのではないか」と云うので私は「俺ではない」というと「血液は何型だ」と聞くので「A型だ」と答えました。私は去年の十二月頃、日暮里駅から五、六分ぐらい行った所で血を四回くらい売った事があり、一回目と二回目はB型と云われ、三回目はA型と云われ、四回目に行った時はまたB型と云われました。それで私はA型と云われた時もあるので、A型と云ったわけです。

「問」君はA型とも云われ又三回目はB型と云われている訳だからB型でもあると何故答えなかったのか。

「答」A型と云われた事があるから、A型と云っただけで理由はない。血を売ったところは日暮里駅の山手線の外側になる方です。

「問」君が東鳩で野球をした時に貰ったタオルに月島食品工業株式会社と書いた物があったか。

「答」字が読めないからそういうのがあったか無かったか判らない。

(七)私は、本年五月一日の午後七時過ぎ頃、堀兼の方に行った事は勿論ありません。私を見たという人があったとしてもそのような事がある筈なく、その人が嘘を云っていると思います。

(八)私は、中田○○(被害者名)さん方に投げ込まれたという脅迫状の写真にした物を警察の人が見せてくれましたが、私の字に似ているなと思う字もありました。似ている字が何というか字であったか忘れました。しかし、いくら似ていても私が書いたものではありません。

(九)私方には貰った手拭いやタオルの新品の物を沢山納ってあります。私が仕事に行く時など手拭いを使う時は、家の者が取ってよこします。私が勝手に新品を持ち出すと兄ちゃんから叱られておりました。五十子米屋から貰った物も納ってあったように思います。東鳩製菓で私が貰ったタオルも納つてありました。働きに行く時はタオルを持って行く事もあり手拭いを持って行く事もあり、母ちゃんがよこした物を持って行っておりました。タオルと手拭いと二本も持って出た事はありません。

(十)私は石田さんに居た際、万年筆で蓋のない物を入曽で拾って持った事がありますが、一回も使いませんでした。インクと万年筆を揃えて持っていた事はありません。

(問)君はボールペンを持っていた事があるのではないか。

(答)ボールペンを自分の物として持っていた事もなく、持ち歩いた事もありません。しかし私の家にはボールペンがありました。多分兄ちゃんの物と思いますが色は普通の青い色でした。赤い字を青くボールペンも兄ちゃんが持っていたように思います。

右のとおり録取し読み聞かせたところ誤りのない旨申立て署名指印した。

浦和地方検察庁  検察官検事  原  正  検察事務官  滝沢  弘

(一)の供述にでてくるパチンコ屋「オリオン」。看板の「チ」と「ン」が崩落しているが、もしタイムマシンが開発された場合、真っ先に打ちに行きたい!と思わせる風情を漂わす。どんな機種が設置され、その機種には攻略法が存在したのか、など、カクテルAの時代からアレンジマンやマジカルランプの体感器攻略まで実績した老生には胸騒ぎが起こる店舗である。