【公判調書1210丁〜】
(石田弁護人から橋本弁護人へ代わる) 弁護人=「東鳩の保谷工場に勤めていた頃、早退届を書きましたね」 被告人=「はい」 弁護人=「それは、自分の持っている鉛筆とかボールペンとか万年筆で書いたんですか」 被告人=「会社のです」 弁護人=「あなたはその当時、そういう書き物は自分では持っていなかったんですか」 被告人=「はい」 弁護人=「それから、石田豚屋に勤めている頃、何か書く道具、万年筆とかボールペンとか鉛筆とか、そういう物をあなたは持っていましたか」 被告人=「用がないから持ってません」 弁護人=「じゃ石田豚屋を辞めて戻って来たね。その時期はどうですか」 被告人=「持っていなかったです」 弁護人=「三十八年四月三十日に選挙がありましたね」 被告人=「はい」 弁護人=「選挙に行く時には何か筆記用具を持って行きましたか」 被告人=「はい、持って行きました。兄貴のペンを持って行ったと思います」 弁護人=「それを選挙に使いましたか」 被告人=「はい、使いました」 弁護人=「そのペンはどうしましたか」 被告人=「兄貴の背広の中へ入れておいたと思います」 弁護人=「戻しておいた」 被告人=「はい」 弁護人=「いつですか」 被告人=「帰って来てすぐです」 弁護人=「選挙のあった日ですか」 被告人=「はい、二時頃帰って来たですから」 弁護人=「じゃ五月一日の日は筆記用具持っていましたか」 被告人=「持っていないです」 (続く)
上の写真は狭山事件に関連する場所の一つであり、狭山市内の“ 沢 ”交差点から数百メートルに位置する“ 雷電神社 ”である(左奥に祠が見える)。さて、ここが昭和三十八年当時、どういう景色だったかというと・・・・・・
当然だが、現在とは全く違う様相である。
左隅に雷電神社の鳥居が見える。