アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 104

「〜それと、職権主義の時代ですと、裁判官が身を乗り出して、被告人尋問で訊いてくるんです。お前は本当にそういうことをやったのか、まちがいないのか。そう訊かれれば、いや、実は嘘です、○○さん( 原典では実名 : 筆者注)殺し事件なんかやってませんと、裁判官に答えたかもしれない」「ところが、いまの公判というのは、当事者主義ですから、弁護側、検察側が互いにやり合うときに、裁判官は黙ってじっと聞いてますね。だから被告人の立場から言いますと、あえて自分から、あの自白は嘘でしたと言わなくても裁判官はわかってくれるぐらいの、そういう安易な気持というのは、一般人の中にもあるんですね」: 森井 暲 ( 関西大学教授 )。「約束による自白ですから、約束関係が崩れるキッカケがないかぎりは、彼はずっとその気持ですから」:「中山武敏 (弁護士・狭山事件再審弁護団事務局長) 以上、「自白崩壊 狭山裁判二〇年  日本評論社」より引用。時代により、裁判が職権主義や当事者主義などと変容をもたらすものかと私は今知ったが、果たしてそれは時代の流れに起因するのか。裁判官が存在する意味を考えるとき、時代など貫き、その主義は一貫していなければならないのではないか、などと思ってみたものの、現実がそうであるならば誰にも変えられまい。しかしながら第二審公判においては、職権主義の片鱗を見せる判事が居たことを私は確認している。                                                                      

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( 昭和三十八年六月二十一日、被害者の通学カバンが発見される。写真引用元 : 無実の獄25年 狭山事件写真集 : 部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編 : 解放出版社より)