アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 85

前回に引き続き万年筆問題である。弁護人はある一点の答えを得る為、何度となく質問を繰り返す。次に挙げる問いが一体何度目なのか、あるいは弁護の技術として、捜査の懈怠を裁判官に印象付けるために繰り返すのか、私としては単に、的を得た答えが返ってこない理由によると考えるが。宇津弁護人:「それから先ほど来私が問題にしてお尋ねしております、 その万年筆があった地点の状態を証拠保全するについてその捜査官以外の者がまず見たほうが効率的であり正確であるという趣旨はどういうことなんでございますか」ここを説明すると、万年筆押収時、捜査官ではなく家族(兄=六造)に捜させ、取り出させた行為を“効率的・正確”と語る小島証人に、その根拠を尋ねている。ごく簡単な問いである。小島証人:「捜査員が三人だということ、被疑者の自供に基づいて発見された場合にだれも知らない、捜査員も知らない、家族も知らないあるいは知ってたか知らないか、それは私の知るよしでないんですが、そういうところで私、立会人一人一人が別々に発見するより一緒になって見つけ出したほうが正確だと、そういうふうに判断したからやりました」弁護人:「私のお尋ねしているのは、証人はですね、その万年筆が、あるかどうかについてもさることながら、どこにどういう状態であるのかということについて証拠保全する必要を感じてなかったのかどうかと」小島証人:「いや、それは繰り返し申し上げますが、被告の自供によって被告の家族が捜し出したことが、一番正確だと私は感じたです」弁護人:「その点はそこに間違いなくあったかどうかということはあるいは証人のおっしゃる通りかもしれませんけれども、どういう状態にあったかということについては捜査官がまずそれを確かめる必要があるんじゃないですか」小島証人:「いえ、ですから私確かめました」弁護人:「あなたが手で取り去ったあとを手でさすってみたということだけだと先ほどおっしゃいましたね」小島証人:「そういうことです」弁護人:「それで万年筆のあった状態というものは十分証拠保全されたというお考えでしょうか」小島証人:「私はそれで、あの場合、こと足りたと解釈して捜査をしました」・・・。ここまで来て、やっと話がつながったようである。つまり小島朝政証人(埼玉県浦和警察署次席)にとって、押収現場での証拠保全とは「手でさする」ことで「こと足り」るという認識であったのだ。長々と辻褄の合わぬ返答を繰り返してきた小島証人であるが、言葉のみならず職務の遂行においてもその不合理な才能を発揮してしまったのだろう。                                                          

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(無実の獄 25年 狭山事件写真集 : 部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編:解放出版社より引用)