アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 84

数回にわたり、狭山事件における万年筆の出方、その不可思議さについて公判調書に沿いながら触れてきたが、今回はその触れる角度を変え考察してみた。私が調書を読む限り腑に落ちない点は、宇津弁護人の問いに対する小島朝政証人の噛み合わない答え、これに尽きる。ただ、稀に噛み合うことも事実であり、この違いについても、いずれ検証せねばなるまい。さて、小島朝政証人に対する尋問は、当人の低い理解度に起因するのか、調書の丁数(頁数)から見てもかなりの量に及ぶ。かいつまんで記述しよう。まずは前回と重複するが「万年筆があった状態をなぜ自分の目で確認しないのか」に対し証人は「兄による発見が効率的かつ正確である」と答える。そこで、この証人の返答に合う質問を仮定すると「誰が発見すれば正確で効率的ですか」となる。しかしそのような質問を弁護人はしていない。さらに弁護人としては「なぜ自分の目で確認しないのか」という質問をこれ以上簡潔明瞭に表すのは不可能であり、少なくとも日本語での表現はこれが限界と思われる。そこで私は「なぜ」「自分の目で」「確認しないのか」の文字を入れ替えてみたが、意味が通じるという点で「自分の目でなぜ確認しないのか」という語順がせいぜいで、弁護人の質問と意味は一緒である。するとこの程度の浅知恵では小島朝政証人から的確な答えを引き出すことは出来ないことに気付く。小島朝政証人の内在的論理、つまり考え方の癖は「効率的かつ正確」に支配されているのだろうか。だからこそ弁護人への返答が噛み合わず、ここまで長丁場の展開につながっているのか、私は途方に暮れつつ芋焼酎お湯割りを飲み干した。                                      

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( 無実の獄25年 狭山事件写真集: 部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編 解放出版社より引用)