【公判調書1820丁〜】
東京高等検察庁検事=平岡俊将の意見
第四、事実取調請求について
四、請求書第四の書証及び証拠物たる書面
(二)(前々回より続く)
標目7、9に記載されている「東京築地市場の丸京青果の荷札が死体についていた伝々」の記事は、報道関係者の作為か誤解によるものであって、右荷札は死体発見の時死体についていたり、現場にあったものではなく(このことは、原審記録第二冊五五八丁以下の大野喜平作成の実況見分調書の内容及び添付の詳細な写真を検討すれば判ることで、このような荷札が死体にも、死体と一緒にあった縄、ひも、布切れ等にもついていなかったことが明らかである)、当時、死体をそのまま被害者方に運び解剖するにあたり、死体と共に発見された縄、ひも、手拭、タオル等を死体から取り外し、狭山市役所堀兼支所に設置されていた捜査本部に運んで証拠物件として整理する過程で、死体の首に巻かれていたひもを特定、識別するため、有り合わせの荷札を使用してそのひもに結びつけたものである。現在当審に領置されている証拠物の木綿ひもにつけられている右丸京の荷札の裏面に「首」と書いてあるのはそのためである。これを当時捜査本部等に張り込んで情報集取に狂奔していた報道関係者のうち偶々何かの機会に証拠物件を窺見した者が、捜査当局の説明も待たず独自の見解を立てて速断し、想像を交えて記事にしたものであると認められる。標目10に記載されている週刊文春の記事はその内容自体、単なる情報に過ぎないことを示しており、万年筆、時計の発見事情は前記第二、で詳細に述べた通りで右記事はいづれも根拠のあるものとは言えない。
(三)、以上のように推測、想像、独自の意見等による新聞記事がいかなる趣旨においても刑事訴訟法上の証拠たる資格のないものであることは明らかで、証拠調べされるべき性質のものではないと考える。
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○以上で「平岡俊将」の意見の引用を終える。
しかし検察官ともなるとさすが高学歴ゆえ老生など見たこともない文字を文章に使用してくれる。態々(わざわざ)、偶々(たまたま)、窺見(うかみ)、速断(即断ではない)など、正直大変勉強になります。