アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 514

【公判調書1643丁〜】

第一  {遺留品をめぐる問題}                          橋本紀徳

   六、ビニール布と「丸京青果の荷札」

三十八年五月四日付大野喜平作成の死体発見現場に関する実況見分調書添付十一号写真によると、「ち : ビニール布」として映し出されているものがある。

一体これは何か。

右調書第三項、死体発掘の状況(1)のところに「発掘し始めた穴を更に掘り下げるに、古い茶の木の葉やビニールの汚れた紙片等が土に交じって掘り出された」との記載があるので、右記載中の「ビニールの汚れた紙片」が、右写真「ち : ビニール布」を指すように思われるが、記述が簡単で判然とはしない。写真十一号のビニール布がどのようなものであったかは、この調書では全くわからない。十一号写真によれば、死体を取り出した跡にはっきりとビニール布のようなものが存在しており、かなりの大きさのものであるが、色彩、形状からみて、被害者のものとされているビニール風呂敷でないことは明瞭である。

一体全体このビニールは何であろうか。

先程の実況見分調書に伴う領置調書にも、このビニールについては記載がない。捜査当局がこれを領置したかどうかもはっきりしない。その余の捜査記録にもこのビニールについては触れていない。自白も沈黙しているのである。全くの謎である。それにも関わらず、死体発掘現場にビニール布が存在したことは、右の十一号写真によって動かし得ない事実である。

他方、三十八年五月七日付朝日新聞夕刊(東京・三版)に「同本部は、死体に付いてあった布きれに付いていた東京築地市場の丸郷青果(尚、同紙五月六日夕刊、東京・三版には “丸京青果” とある)の荷札は、その後の調べでは地元の堀兼農協が農作物の出荷用に主として上赤坂地区の農家に配っているもので、農家は、使わないで残った分は畑を区切った時の目印などにしたりするほか、農家以外にも多少流れていることがわかり、犯人が地元にいることの一つの裏付けが取れた」との記事があり、この記事と、前記ビニールの布とが妙に結びつく。つまり、右記事によると丸京(又は丸郷)青果は、堀兼農協に対し出荷用としてビニール布と荷札を提供していた模様で、その出荷用ビニール布と荷札が、本件死体と共に発見されたものではないかと推測されるのである。もとより、前記の実況見分調書には「荷札」に関する記載がないので、果たして死体と共に「荷札」が存在していたのかどうかは、はっきりしない。従って右の朝日新聞の記事の正確性を試すことはできない。しかしまた、この実況見分調書に記載されていないから、そのような「荷札」もまた存在しなかったと云うこともできない。先程述べたように、ビニール布の存在は確かであるのに、調書には、はっきりと触れず、また領置もしていない。この点に関する実況見分調書の正確性は、極めて疑わしいと云ってよい。従って、本件死体からビニールの他、丸京青果の「荷札」が発見されたのかも知れない。いずれにしろビニール布といい、この丸京青果の「荷札」の件といい、自白には全く現れていず、その他捜査記録中にも現れず、誠に不思議で、いよいよ本件の謎を深めるものであると云ってよいものである。この点に関する疑惑をどのようにして一掃することができるであろうか。

*次回  “七、玉石と棍棒” に進む。