アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 202

狭山事件公判調書第二審1085丁を開くと、そこには「上申書」なる文字がある。正確には「事件番号昭和三九年刑う第八六一号東京高裁第四刑事部  上申書  石川一雄」となる。宛名は「東京高等裁判所第四刑事部 裁判官 久永正照 殿(注:1)」とあり、この事件で犯人とされた石川一雄氏の署名・印、その左に「右は本人の指印たることを証明する  東京拘置所看守部長  佐藤道雄・印」と印字されている。つまりこれは東京拘置所に勾留されている石川一雄氏が、東京高裁の裁判官に宛てた、自主的に意見を述べた文書、と解釈して良いだろう。内容は、石川一雄氏が別件逮捕された際の罪状にある「暴行」「窃盗」についての具体的な事情説明となっている。この「上申書」を読むと、二つの案件は既に当事者同士で和解に持ち込まれており、となると何故これを警察が蒸し返し(相手側に被害届を出させ事件化する)逮捕・勾留に向かったのか、理由は一つであろう。上申書に書かれた二件の事情説明の内“暴行”について全文引用してみる。「(一)暴行、石田さん宅に厄介なって居た頃、義男(主人・一義さんの弟)と入間ジョンソンへ残飯を上げに行く途中、竹内さんの車に接触されたのでつい頭に来てしまい二度殴ったのです。そして交通課のお巡りさんが五、六人来てラインオーバーの竹内さんが悪い事に決まり、私達の車の賠償として約三千円を払うように言われました。そして私に『何にせよ乱暴したのはお前がいけないのだが、この位の事で警察沙汰はしたくないから仕事が済んでからでよいから必ず謝りに行け』といって住所まで教えて下さったので、その夜七時半頃柏原の竹内さん宅へお詫びに行き竹内さんの小父さんと話し合った末、お互いに無かった事にして白紙にして来たのでした」……以上。殺伐とした現代と違い、昭和の人情味あふれる示談の手本のようではないか。文中に登場する交通課のお巡りさんも素晴らしい対応をとっており全てが円満に解決されている。この解決済みの事案が狭山事件発生後に警察により再浮上させられ、石川一雄氏はその黒い波に飲み込まれてゆくのである。(続く)         (注:1 、久永正照とあるが、この時期の裁判長は久永正勝氏が担当している。とりあえず原文通り引用したが書記官の誤訳なのか、久永姓の裁判官が複数存在するのか、私には分からない)                                                         
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(これが原文)                                                                         
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(これも公判調書から転用したが、共に東京高等裁判所第四刑事部とある。よく分からんなぁ)