アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1443

「深川通り魔殺人事件」における川俣軍司への判決言い渡し(昭和五十七年十二月二十三日)より、

              三、幻覚妄想の形成経過とその要因

(一)被告人の兄に対する裁判所の尋問調書その他の関係証拠によれば、被告人は昭和四十九年に川越少年刑務所に服役していた際、イライラして心情が不安定であったばかりでなく、係官に対して「陰でコソコソ言うヤツが居る。同僚の自分を見る目がちがう。職員が自分にあてこすりをする」等と訴えたことがある。

    その後両親や弟と共にしじみ採りに従事していたころ、同人らが自分の悪口を言っていると邪推して、何度か喰ってかかったことがあった。昭和五十三年にしじみ採りをやめた頃から、父親に「頭に電波が走る、仕事の先々でみんなが自分を妨害する」と言うようになり、五十五年ごろには兄に対して、「暴力団の親分から電波を飛ばされている」と言ったことが認められる。

    なお被告人自身も、捜査段階および公判廷において、自己の異常体験について述べており、それがいつ頃のことかについては必ずしも一貫性はなく、内容等についての追想錯誤や誇張もあると考えられるが、犯行時までの異常体験については、大筋において記憶の通り述べているものと認められる。

(二)風祭鑑定ならびに福島鑑定によれば、被告人の知能はほぼ正常域にあるが、その性格には、度重なる転職や暴力犯罪の反復にも表れている通り、顕著な偏りがあって、爆発性・情性欠如性・意志欠如性・自信欠如性・自己顕示性などを基調とする、異常性格者であると認められる。

    他方被告人は精神分裂病ではなく、感情障害や意欲障害等も見られず、鑑定中の心理検査の結果に照らしても、精神分裂病でないことは、両鑑定が指摘するとおりと認められる。

(三)被告人の当公判廷における供述、その他の関係証拠によれば、被告人は遅くとも昭和五十三年三月ごろには覚醒剤の使用を始め、同年十月傷害事件によって逮捕されるまでのあいだ、相当回数の使用を重ねたうえ、五十四年十一月に出所した後も、再び数回にわたり使用したことが認められる。

    被告人は五十六年四月二十一日に、最終刑を終えて出所してからは、覚醒剤をいっさい使用していない旨を供述するけれども、司法警察員作成の捜査報告書、鑑定人兼証人・安藤皓章の当公判廷における供述、その他の関係証拠によれば、本件犯行後に被告人の尿からフェニルメチルアミノプロパンが検出されているから、被告人が犯行直前に覚醒剤を使用したことは、間違いないものと認められる。

(四)ところで前記(一)および(二)で見た被告人の幻覚妄想を、風祭・福島両鑑定に従い精神病理学的に分析すれば次のとおりである。

    テープが耳に入ってくるのは幻聴と呼ばれ、頭に電波が来る、電波が走るというのは体感幻覚、または異常身体幻覚と呼ばれるものであって、これらは幻覚と総称される。

    周囲の人の通常の会話を自分の悪口と取るのは関係妄想と呼ばれ、他人が何者かの指示により、おかしな演技をしていると取るのは妄想知覚と呼ばれ、意に反してメソメソさせられたり、ニヤニヤさせられたと思うのは作為体験と呼ばれ、これらは妄想と総称される。

    さらに役人が黒幕となって、電波やテープを流したり、被告人の周りの人々に圧力をかけて悪口を言わせたり解雇させたりすると考えるようになるのは、妄想体験が構築されるものである。

    被告人の就職、服役時の状況、犯行時の心理状態を、両鑑定を併せ考えると、次の経緯が見られる。

    ①昭和四十九年ごろから関係妄想、被害妄想とも見られる体験が表われはじめた。

    ②五十三年における覚醒剤の使用によって幻覚が加わる。

    ③これに結びついた妄想が五十四年に服役したころから徐々に発展する。

    ④五十五年十月からの服役によって妄想体験が構築される。

    昭和五十六年四月の出所後は、家族からも見放されて失敗を繰り返し、所持金も乏しくなる追いつめられた状況の中で、覚醒剤を使用したため妄想的怨恨を、重大犯罪を起こすことによって晴らそうとする衝動性が強められたと見るのが自然である。

    そうすると犯行時の幻覚妄想状態は、精神分裂病に基づくものではなく、異常性格の心因性妄想に、覚醒剤使用の影響により生じたと認めるのが相当である。

 (続く)