
当初、『少時』という人物の子供を誘拐する目的で脅迫状は作成された。脅迫状の文面にみられる、ペン等で抹消された日付が、『少時』との身代金取引の日付とみてよいだろう。


「昭和三十八年四月二十九日」
これが『少時』との身代金取引を予定していた日付である。事前の下見など準備期間を経て、万難を排し犯行に挑もうとしていた犯人らであるが、ここで何らかの事情が彼等の前へと介在し、これは推測に過ぎないが、犯人らの意思とは関係なく外的な事情や状況により、選択肢が"そうせざるを得ない"状況に追い込まれたと、こう老生は考えるのである。
『少時』という人物の子供を誘拐した場合、目的が身代金喝取であり、誘拐対象が子供という点で強姦という犯行は生まれず、しかし殺害する可能性は残されてはいるが、狭山事件とは異なる展開を見せたものと思われる。
繰り返しになるが、問題は犯人らと中田善枝とが接触した原因とは何であったのだろうか、これに尽きると考えるのである。