自白によれば、中田善枝を殺害後、死体の処置はつぎのようになっている。
『殺したあと、林の中でしばらく(死体の)処置の方法を考えた。そして脅迫状を中田宅に届ける間、穴倉に隠しておくことを考え、死体を仰向けのまま両腕の上にのせ、前に抱えて近くの穴倉まで運ぶ。そして近所の家から縄を盗んできて、足首に紐を結(ゆわ)え、そこに縄を結んで、一方をそばの桑の木に結び付け、穴の中に死体を逆さに吊るす。穴の蓋をして、こうして一時死体を隠し、もう一度殺害の現場に戻る。そして被害者の自転車に乗り、上赤坂の中田宅に脅迫状を届けに行く。中田宅に脅迫状を差し込み、スコップを盗んでくる。そのスコップを使って穴倉の近くの農道に大きな穴を一人で掘り、穴倉から死体を引き出して、そこへ死体を埋め、死体を処理した』
穴倉というのは農家が使用するサツマイモなどの作物を貯蔵するための穴である。最近は少なくなっているが、当時はあちこちの畑の中にあった。死体が発見されたそばにあったこの穴は、今はもう埋め立てられてなくなっているが、記録によると、深さ三メートル、縦〇.七五、横〇.六五メートルの縦穴と、底に高さ〇.九メートル、奥行き約四.七メートルの横穴が三方向に向かうものからなる一種の地下室である。穴はただ掘っただけで、地肌がむき出しているが、農家の人の話によると、そう簡単には崩れるようなものではないという。ただ、縦穴の上部にはコンクリート製の枠があり、普段はその上にコンクリートの蓋がしてある。なお、捜査書類によってはこの穴を芋穴と言うものもあるが、この近辺では芋穴はまったく別のものを言い、多くは穴倉と呼んでいたと、この地方の人々は言う。ちなみに石川一雄さん自身も"あなぐら"と呼んでいたという。


五月四日、死体が発見された際、捜査官はこの穴倉の中も捜索している。狭山署警部補=大野喜平作成の実況見分調書によると、この穴倉から長さ九十四センチの棍棒と、宝船の絵が書かれたビニール風呂敷が発見されている。棍棒は「自白」では触れられておらず、ビニール風呂敷については、「自白」では「善枝ちゃんの自転車の前カゴについていた」というが、いずれも被害者のものであると、被害者の家族から確認されていない。しかし、当時、山狩りに参加した消防団員は、死体発見に先立ちこの穴倉から被害者の所持品(カバン)らしいものも発見しているという。もしこれが事実なら、後になって六月二十一日に、石川さんの「自白」に基づいてカバンが発見されたという警察の発表はまったくのでたらめということになる。
いずれにせよ捜査本部は、この穴倉も犯行に使われたとみていた。死体に覆い被さるようにして発見された計二十五メートルにわたる荒縄とあわせ、「自白」が誘導されて、死体を逆さ吊りにし、隠しておいたことにされたのだろう。
一審判決は、「自白」どおり死体を逆さ吊りしたと認定した。しかし逆さ吊りをしたには、死体の様子に形跡がないことから、疑問視するむきが強かった。そこで確定判決は「宙吊りではなく、仰向けに横たわっていた」と批判をかわした。この場合でも、上げ降ろしする際、死体は逆さに吊るされた状態であり、荒縄を使用したことには変わらないので、「自白」と際立った食い違いはないわけである。
それでも依然として、死体の様子から穴倉への逆さ吊りに対しては疑問が残る。
例えば、この穴倉からはまったく血痕が検出されなかったことがそのひとつである。五十嵐鑑定書には、死体の後頭部に傷があったことが記載されている。(検視時)水洗いされているにもかかわらず傷口には凝血があったというから、外出血したことは間違いない。もし、この穴倉で一時的にせよ死体が逆さにされた状態があったとしたら、血液が頭に集中し、少なくとも何滴かの血がしたたり落ちたはずである。これが「自白」どおりなら約三時間宙吊りであったから、多量の血が穴の底にたまったはずである。にもかかわらず、警察のルミノール反応検査では血痕は検出されていない。
このほか疑問は数多くあるが、こうした疑問を法医学の面から解明を得ようと、木村康=千葉大教授の立会いのもとで、狭山事件再審弁護団は、一九七九年五月、狭山市内の同種の穴倉で実験を行なった。その結論が、倉田哲治・木村康実験報告書としてまとめられ、東京高等裁判所に再審を求めて提出されている。
(続く)
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文章のみ「狭山事件・現地からの報告(たいまつ社)」より引用。
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◯知れば知るほどに疑わしさが増す狭山事件であるが、気がつけばもう師走も終わりであり、またしてもこの一年、ひっそりと事件にお付き合いしてしまった。何らかの好奇心から狭山事件へ関心を持ち今日に至るが、この先もそれは続くだろう。
ところで、今年購入できた古本は、ほぼ昭和時代の冤罪事件に関連したものに集約され、しかもそれぞれが粒揃いであったことは、標的を絞って吟味した結果であり、作戦どおり行動できた己れを褒めたい。
さてと、いよいよ来年は還暦を迎えることとなったが、まだまだ老け込んではいられない。眼光鋭く六十歳を生きようか。

(写真は老生が敬愛する緒方拳。失礼だがこの目は危険である)