
(写真は脅迫状が差し込まれていた状況を示す被害者の姉=登美恵さん)
*
「脅迫状が届いており、善枝がまだ帰っていない」という連絡を、善枝さんの兄=中田健治さんから受けて、狭山警察署は埼玉県警とともに五月一日夜から誘拐事件として捜査を開始した。
誘拐事件の捜査は、非公開・秘密に行なうのが原則である。しかし、善枝さんが行方不明になった一日から死体となって発見される四日まで、警察は、この誘拐事件捜査の絶対条件を守ってはいない。それどころか、死体発見までの捜索は、一つのショーとして展開したかの観がある。
一日、夜十時過ぎ、堀兼中学で善枝さんと同級生だった女子高校生は、中田健治さんと私服刑事三、四人の訪問を受けるのである。健治さんから『善枝が帰ってこないのだが、こちらにお邪魔していないか』 と尋ねられ『来ていない』と答えた。翌朝、この女子高校生は、登校するまでの間に『善枝さんがさらわれて脅迫状がきており、二十万円を今夜佐野屋に持って行くんだって』『今夜の佐野屋の張り込み、おもしろそうだから見に行こう』などという話を耳にしている。
"一日に善枝さんがさらわれて、脅迫状が届き、それには「二日夜十二時、二十万円を持って佐野屋に来い」と書かれていた。二日夜、警察が佐野屋で張り込みをする"
ということは、「上赤坂・堀兼一帯の人に、かなり広く知れわたっていたのではないか」という。
一日、警察は聞込み捜査とあわせて、脅迫状に「二日夜十二時」とあることから「一日の夜十二時」の可能性もあるとして、念のための張り込みを行なった。そして、二日からは、"犯人からの連絡を待ち、動向を見守り、対策を検討する"のではなく、一日夜よりもさらに積極的な捜査を開始する。五月四日付の埼玉新聞の「前日に引き続き、三日午前八時から山狩り」という記事は、私服の刑事が密かに聞込みを行なうという以外の目立つ捜査が行なわれていたことを示している。
堀兼中学のPTA会長であった増田秀雄さんは二日早朝、狭山警察署に呼び出された。増田さんは第一審二回公判で、その前後の様子を次のように証言している。
『二日朝の六時ちょっと前頃、狭山の署長さんから、重大なことがありまして協力を願いたいからぜひすぐ来てくれと、うちにじかに電話がかかりました。
そのとき善枝ちゃん事件をよくつぶさに話されまして、ぜひこういう重大な事件だから民間協力をぜひ頼みたいということになりまして、その席には次席さん、当時の狭山の捜査課長とわたしの四人だと思います。いちばん先に、前線基地をどこかへ作りたいから、それを物色してほしいと。捜査の前線基地でございます。それから佐野屋さんの犬がおって、あそこに張り込みを実施するについて、スピッツのよく吠える犬だからそれを遠くへ隔離するよう話してほしい。姉さんの登美恵さんに張り込みの現場へもう一回出てもらうように話をしてほしいと。それともう一つ、特に事件が重大なので警察の車を使うことは避けたいから、民間の車で張り込みの警察官を現地に輸送してほしいと。だいたいこの四つだと思います』

(事件当時の佐野屋)
♢
増田さんは、狭山警察を出てすぐ、協力を要請されたこの四点を実現するため、精力的に動きまわるのである。この増田さんの活躍を通して、警察が増田さんに要請した四点は達成されるのであるが、その結果"二日夜十二時の張り込み"は、さらに多くの人の知るところとなっていった。
そして、二日夜十二時、県道沿いにある佐野屋わきの茶畑での張り込みを迎えるのだ。この佐野屋の張り込みは、当時埼玉県警刑事部捜査一課の課長補佐であった大谷木豊次郎警部が陣頭指揮を取って行ない、佐野屋近辺には約四十人余りの警官が張り込んでいた。

二日夜、十一時五十分、善枝さんの姉=登美恵さんが身代金を持って佐野屋の前に到着した。それから十分後の三日零時過ぎ、犯人が佐野屋わきの茶畑の影から声をかけてきた。登美恵さんと犯人は、ここで十分近く問答するのだが、警察は犯人を取り逃すという大失態を演ずるのである。
(続く)
◯文章のみ「狭山事件・現地からの報告:たいまつ社」より引用。