所沢くすのきホールでの古本まつりで購入した「無実を叫ぶ死刑囚たち」を、今震えながら読んでいる。本書の題名が示すとおり、「無実を叫ぶ」という文字が冤罪を指すことはおおよそ察知していたが、内容は想像以上に重く深い、絶望感に満ちたものになっている。
死刑囚のみに焦点を当てた内容かと思いきや、幅広く冤罪の疑われる事件を扱っており、また、警察・検察による物証の捏造や証拠隠し、証人隠しなど、冤罪が生まれる構造にも踏みこんだ読み応えがあるものになっている。ほんのわずかではあるが狭山事件にも触れた記述があり、本日はこれを書き出してみた。

『狭山事件の場合(中略)たとえば、熊谷で二重犯人逮捕事件を起こし、先に逮捕した冤罪の被疑者Aが、死骸を埋めるスコップを、そこの土をなすりつけて捏造して物証をデッチ上げ、Aを自白に追いこんだ清水利一警部が、狭山事件の石川被告を取調べ、このときもデッチ上げに加担していった。検察側は、この清水利一の作成した調書を長期にわたってかくしていたのである』(本書"物証かくし"の項より)
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『(略)中でも狭山事件捜査は特異であった。早くから被差別部落に捜査の重点が絞られ"養豚場のスコップ盗難届け"など普段なら出される筈のない盗難届けがデッチ上げられ、これを発端にしたという見せかけの下に部落への捜査が展開されていったのである。狭山事件の場合には、はじめから"真犯人をあげる"ことは断念され、代わりのイケニエが部落民に求められていったと考えてよい。この事情は、狭山事件におけるデッチ上げ動機の強烈さに対応しているといえるであろう』
『狭山事件と島田事件に見られる捜査・裁判における差別性は、いかにも典型的なものであって、すべての冤罪事件でこれほど強烈に現われているというわけではない。しかし、少なくとも、"迷宮入り"事件の捜査にあっては、容疑者を選定する基準が、不良、前科者、部落民、在日朝鮮人、精神障害者などに対する差別であり、そしてこれらの人びとの中からいけにえが生まれていることは厳然たる事実である』(本書"差別と冤罪"の項より)
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『狭山裁判では、被告を犯人と結びつける直接の証拠としては、筆跡と足跡があげられた。弁護側はこれらが被告と犯人とが別であることを示しているという信頼すべき鑑定を提出したが、寺尾判決も最高裁もこれを無視した。裁判官はとどのつまりは"自供"と"詫び文句"を最後の拠り所として石川一雄氏を犯人だとしたのである』(本書"自白に基づく有罪判決"の項より)
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『そして裁判官は、取調官による自供の誘導や強制について"記録上その証拠は見出せない"(たとえば狭山事件最高裁棄却決定文)と一蹴してしまうのが常である。"記録上"誘導や強制の証拠をわざわざ残しておく取調官がどこにいるだろう。だが、じっさいその痕跡を残した取調官がいたのだ。それが、狭山事件の図面調書の上の"筆圧痕"であった。警察はこの筆圧痕をかくすために、コピーを作ると称して大事な図面調書に複写用の筆圧痕をつけて証拠いん滅を行なった。寺尾裁判長はこの証拠いん滅に乗かり、また最高裁は、"それでもまだ誘導のための筆圧痕と複写用の筆圧痕を区別できる"と主張した科学者の鑑定を無視して、"記録上、その証拠はない"と言い放ったのである』(本書"被告はうそつきという偏見"の項より)
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『(略)狭山事件で石川一雄氏をよってたかって犯人にデッチ上げ、公判に出てくれば"そんなことはある筈がありません""知りません""記憶にありません"と述べたてる長谷部警部、関巡査ら狭山特捜本部や狭山署員たち』(本書"犯罪集団としての警察"の項より)
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なお、本書で扱われている事件を挙げると次の如くである。
帝銀事件・牟礼事件・島田事件・波崎事件・松山事件・財田川事件・名張毒ぶどう酒事件・免田事件。
これらの冤罪事件を考察している書が狭山事件に触れている以上、この"善枝ちゃん殺し事件"も同列に位置付けられていることは言うまでもないであろう。