【狭山事件第一審判決】
罪となるべき事実
被告人は、
第一、昭和三十八年五月一日午前七時三十分頃、家人には仕事に行くと称して弁当持参で家を出たが、怠けて西武園の山中や、所沢市内のパチンコ店で遊んで時を過ごした後、同日午後三時頃、西武鉄道新宿線入間川駅に帰着し、同駅前の店で買った牛乳二本を飲みながら、あてもなく、恰も同日祭礼のあった右入間川駅附近の荒神様の方へ向かって歩き、同所を通り過ぎて通称加佐志街道を狭山市入間川一七七四番地高橋一男方通称「山の学校」附近まで行ったが、同所から引き返し、再び右荒神様の方へ歩いて来た際、同日午後三時五十分頃、同市入間川一七五〇番地先の右加佐志街道のX型十字路において、自転車に乗って通りかかった下校途上の埼玉県立川越高等学校入間川分校別科一年生中田善枝(当時十六歳)に出会うや、とっさに彼女を山中に連れ込み人質にして、家人から身の代金名下に金員を喝取しようと決意し、彼女の乗っていた自転車の荷台を押さえて下車させたうえ、「ちょっと来い、用があるんだ」と申し向け、同女を南方の同市入間川字東里二・・三番地の雑木林(通称「四本杉」)に連れ込んだ。その途中で逃げられないため同女の自転車を取り上げて自ら押して歩き、なお、同女からその氏名は中田善枝で、父は中田栄作であること及び住所は同市堀兼方面にある落合ガーデンの手前のたばこ屋附近であることなどを問いただし、右雑木林内では同女の手を掴んで奥の「四本杉」の立木附近まで連れて行き、同所で、同女を附近の松の立木に縛りつけ、そのままにしておいて脅迫状を同女の父中田栄作方に届けて同人から身の代金を喝取し、且つ善枝所持の金品をも強取しようと企図し、同女に対し「騒ぐと殺すぞ」と申し向けながら、立たせたまま附近の直径約十糎(センチ)の松の木の立木を背負わせるようにして、所携の手拭(同押号の十一は右手拭を三つに分断したもの)で同女を該立木に後手に縛りつけ、所携のタオル(同押号の十)で目隠しを施し、その反抗を抑圧したうえ、まず同女が身につけていた同女所有の腕時計一個(同押号の六一)及び身分証明書(同押号の二)挿入の手帳一冊(被告人はこれを三つ折り財布という)を強奪した際、俄かに劣情を催し、後手に縛った手拭を解いて同女を松の木からはずした後、再び右手拭で後手に縛り直し、次いで数米(メートル)離れた四本杉の中の北端にある直径約四十糎の杉の立木の根元附近まで歩かせ、同所でいきなり足払いを掛け、仰向けに転倒させて押さえつけ、ズロースを引き下げて同女の上に乗りかかり姦淫しようとしたところ、同女が救いを求めて大声を出したため、右手親指と人差し指の間で同女の喉頭部を押さえつけたが、なおも大声で騒ぎたてようとしたので、遂に同女を死に致すかも知れないことを認識しつつあえて右手に一層力を込めて同女の喉頭部を強圧しながら強いて姦淫を遂げ、よって同女を窒息させて殺害したすえ、同女が自転車につけていた鞄(同押号の三〇)の中にあった同女所有の万年筆一本(同押号の四二)など在中の筆入れ一個を強取した。
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第二、前記のとおり中田善枝を殺害した後、同女の死体を一時附近の芋穴に隠し、後でこれを農道に埋めて前記犯罪を隠蔽しようと考え、同日夕刻、右死体を両腕で抱えて、同所より新井千吉所有に係る同市入間川二⚫️六二番地畑内の、入口の大きさ縦約七十七糎、横約六十二糎、深さ約二米七十糎の芋貯蔵穴の側に運んだうえ、附近の家屋新築現場にあった荒縄、木綿細引紐(同押号の六乃至九)を使用し、死体の足首を右細引紐で縛り、その一端を右荒縄に連結してなお死体を右芋穴に逆吊りにし、荒縄の端を芋穴近くの桑の木に結びつけたあげく、コンクリート製の蓋をして一旦死体を隠し、後記判示第三のように脅迫状を中田栄作方に届けた後、再び右芋穴のところに引き返し、同夜九時頃、その途中にある同市堀兼九⚫️一番地所在の前記石田一義所有の豚小屋から持ってきたスコップ(同押号の四一)で、右芋穴の北側にある同市入間川二⚫️五〇番地の農道に、縦約一米六十六糎、横約八十八糎、深さ約八十六糎の穴を掘り、その中に前記芋穴から引き上げて運んだ善枝の死体を、前記の如き両手を後手に縛り、目隠しをし、足首を縛り、荒縄をつけたままの姿で俯伏せにして入れ、土をかけて埋没し、もってこれを遺棄した。
(次回、第三へ続く)