アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1365 【第一審判決】①

「〜犯罪小説を書いていると、『刑事訴訟法』『日本の精神鑑定』『刑罰の思想』といった本も読まなければならないが、これが決して苦痛ではない。悪文の見本のような、裁判官の判決文にしたところで、読めば結構おもしろいのである」(「犯罪するは我にあり」佐木隆三文学ノート:224頁)   ・・・我も同感である。

   ◯狭山事件第二審の判決を読み終えたところで、第一審判決にも目を通しておきたい。判決の日付は昭和三十九年三月十一日、場所は浦和地裁。

   かなり以前に気付いてはいたが、やはり順序よく引用するべきであったことを痛感している。つまり第一審公判調書、控訴趣意書、第二審公判調書、再審請求書という順である。

                         【狭山事件第一審判決】

                                          判決

 本籍   埼玉県狭山市入間川二千九百八番地の一

 住居   右同   鳶職手伝   一夫こと  石川一雄

                              昭和十四年一月十四日生

   右の者に対する強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂、窃盗、傷害、暴行、横領被告事件について、当裁判所は、検察官鈴木寿一、同原正、同河本仁之出席のうえ審理して、次のとおり判決する。

                                          主文

                            被告人を死刑に処する。

押収に係る身分証明書一通、万年筆一本、腕時計一個(昭和三八年押第一一五号の二、四二、六一)は、いずれも被害者中田善枝の相続人に還付する。

                                          理由

   被告人の経歴、本件第一乃至第三の犯行に至る経緯

   被告人は、小農を営む傍ら駅の貨車の砂利積人夫をしていた父富造と、母リイとの間に、十人きょうだいの中の四男として生まれ、小学校五年を修了したのみで勉強を嫌い、農家の子守奉公に行き、その後靴店店員見習、農家雇人、製菓会社工員、土工、養豚場雇人など転々と職を変え、昭和三十八年三月初頃肩書自宅に帰って、兄六造の鳶職の手伝いをしていたのであるが、埼玉県入間川郡武蔵町高倉の土建業西川正雄こと鄭壬出方の土工をしていた当時の昭和三十七年四月頃から同年六月頃までの間に、軽自動二輪車二台を代金合計十八万五千円で、月賦で買い入れ、その修理費、ガソリン代の支払を滞らせたり、月賦金を完済しない中に右軽自動二輪車を売却または入質したことによる後始末のための負債がかさんだため、右西川方の土工を辞めた後の同年九月頃、父富造から約十三万円を出して貰ってその内金の支払いをした。そのようなことから被告人は家に居づらくなり、翌十月末頃から狭山市大字堀兼七・・五番地の二、養豚業石田一義方に住み込みで雇われ働いたが、長続きせずに約四ヶ月で辞め、昭和三十八年三月頃自宅に戻ったのであるが、前記の如く父に迷惑をかけたことや、被告人の生活態度などが原因で、兄六造との間がうまく行かず、同人から家を出て行けといわれ、父富造も同人をかばって六造と仲たがいするなどとかく家庭内に風波を生ずるに至ったので、被告人は、いっそのこと東京都へ出て働こうと思い立った。しかしそれについては、父に迷惑をかけた前記十三万円を返さなければならないと思っていたところ、その頃たまたま同都内で起こったいわゆる吉展ちゃん事件の誘拐犯人が、身の代金五十万円を奪って逃げ失せたことをテレビ放送等を見て知るに及び、自分も同様の手段で他家の幼児を誘拐し、身の代金として現金二十万円を喝取したうえ、うち十三万円を父富造に渡し、残りの金を持って東京に逃げようと考えるに至り、その際使用する目的で、同年四月二十八日頃、自宅玄関先四畳半の部屋で、大学ノートを破った紙を使用して、ボールペンで、「子供のいのちがほしかったら四月二十八日夜十二時に、女の人が前の門のところに現金二十万円を持って来い。金を持って来れば子供は無事に返すが、時が一分でもおくれたり、警察に知らせたりしたら子供は殺す」旨記載した脅迫状一通を作成し、これを封筒に入れ、該封筒の宛名を「少時様」と記載して準備し、機会があれば右計画を実行しようと考え、ズボンの後ろポケットにいれて持ち歩いていた。

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(次回、"罪となるべき事実"へ進む)

 

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   ◯昭和三十九年三月十一日に浦和地方裁判所において石川一雄被告人に死刑判決を言い渡した内田武文裁判長(のち弁護士)は、二十六年後の平成二年十月、厚木の自宅が何者かに放火され、雨戸などが焼ける被害に遭っている。ただし狭山事件との関連は全く不明である。