アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1362 【判決】61

                      【狭山事件第二審・判決】

                      事実誤認の主張二について。 

(一)"未必的な殺意"

   所論は、被告人は被害者を強姦するに際し、未必的にしろ殺意はなかったのであるから、原判決が「同女が救いを求めて大声を出したため、右手親指と人差し指の間で同女の喉頭部を押さえつけたが、なおも大声で騒ぎたてようとしたので、遂に同女を死に致すかも知れないことを認識しつつあえて右手に一層力をこめて同女の喉頭部を強圧しながら強いて姦淫を遂げ、よって同女を窒息させて殺害したすえ」伝々と認定し、被告人を強盗殺人・強盗強姦に問擬(注:1)したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認であるというに帰するので、この点を考えてみるに、被告人は当審になってから原審までの自白を翻(ひるがえ)して全面的に無実を主張するに至ったので、当審における長期間且つ詳細な事実の取調べにおいても、この点に触れて新たに付加された判断資料は存在せず、専ら(注:2)被告人の原審公判及び捜査段階における各供述、並びに死体が発掘された当時の状態とか鑑定の結果等によって、原判決の認定の当否を判断するほかはない。

   ところが、被告人の原審における公判供述中この点に触れた部分は、

「問、縛りつけて時計や財布を取った後に強姦したのか。

   答、はい。

   問、その際被害者を殺すようなことになったのか。

   答、はい。

   問、この間の事情は警察や検察庁で述べたとおり   か。

   答、はい」

   という程度にとどまり、その詳細は挙げてこれを捜査段階における被告人の供述に依存する形になっている。然(しか)るところ、この点に関する被告人の捜査段階における供述はまちまちで捕捉し難い内容のものであるから、原審としては、被告人がいわゆる冒頭認否以降、終始強盗殺人・強盗強姦等の事実を認めて争わなかったにしろ、この点を詳細に質問して犯行当時の具体的状況を明らかにしておく必要があったのであり、今となっては仕方のないことであるが遺憾なことである。

   それはそれとして、一件記録によれば、被告人が、原判決の冒頭及び(罪となるべき事実)第一に認定判示されたのとほぼ同様の経緯から、昭和三十八年五月一日午後三時五十分ころ、狭山市入間川一七五〇番地先の加佐志街道のX型十字路において、自転車に乗って通りかかった下校途中の埼玉県立川越高等学校入間川分校別科一年生中田善枝(当時十六歳)に出会うや、とっさに同女を山中に連れ込み人質にして、家人から身の代金名義のもとに金員を喝取しようと決意し、同女の乗っていた自転車の荷台を押さえて下車させたうえ、原判示の雑木林に連行したこと、原判示の経緯で同女を付近の松の立木に縛り付け、そのままにしておいて脅迫状を同女の父=中田栄作方に届けて同人から身の代金を喝取し、且つは(注:3)善枝所持の金品などをも強奪しようと企図して、同女に対し「騒ぐと殺すぞ」と申し向けながら、立たせたまま付近の直径約十糎(センチ)の松の立木を背負わせるようにして、所携の手拭い(昭和四一年押第一八七号の十一は右手拭いを三つに分断したもの)で同女をその木立に後ろ手に縛り付け、所携のタオル(同押号の一〇)で目隠しを施し、その反抗を抑圧したうえ、まず同女が身に着けていた同女所有の腕時計一個(同押号の六一)及び身分証明書(同押号の二)挿入の手帳一冊を強取した際、にわかに劣情を催し、後ろ手に縛った手拭いを解いて同女を松の木から外した後、再び右手拭いで後ろ手に縛り直したことは、被告人の自白中、素直に理解することができる部分であり、殊に、いったん松の木を背負わせるようにして後ろ手に縛り付け、目隠しを施した後、腕時計等を強取した際、にわかに劣情を催したので同女を強いて姦淫するべく手拭いを解いて松の木から外した後再び右手拭いで後ろ手に縛り直した経緯は、発掘された死体の状態そのものから推測することは困難で、どうしても被告人が供述しなければ捜査官において誘導のしようもない事実であると考えられる。

   次いで数米離れた四本の杉の中の北端にある直径四十糎(センチ)くらいの立木の根元付近まで歩かせ、同所で同女をあお向けに転倒させて押さえ付け、ズロースを引き下げて同女の上に乗りかかり姦淫しようとしたところ、同女が救いを求めて大声を出したという事実も、当然の成り行きであるとして首肯(注:4)することができる。

   更に、声をたてさせまいとしてとっさに右手親指と人差し指との間で同女の喉頭部を押さえ付けたが、なおも大声で騒ぎ立てようとしたので、被告人としては更に一層の力をこめて喉頭部を強圧したという事実もまた首肯することができる。

   このように、被害者の両手を後ろ手に縛り上げ、目隠しを施して無抵抗の状態にしておきながら、同女をあお向けに転倒させて強いて姦淫しようとしたが大声で騒がれたので前記のように被害者の喉頭部を強圧し続け、姦淫を終わるころようやく手を緩めたところ、被害者はもはや動かなくなっていたという一連の行動は、特段の事情のない限り少なくとも未必の殺意を推認させるといってよい。この点に関する被告人の捜査段階での供述はまちまちで、供述調書の数からいうと、死んでしまうかもしれないとまでは思わなかったという方が多いけれども、検調書の一部には、死んでしまうかもしれないと思ったという供述もあって、供述だけではどちらとも決し難い。

(続く)

注:1「問擬(もんぎ)」=立件できるかどうかを検討すること。(法律用語)

注:2「専ら(もっぱら)」=ひたすら。ただただ。

注:3「且つは(かつは)」=一方で。

注:4「首肯(しゅこう)」=うなづくこと。もっともだと納得し認めること。

                                            *

   ◯ところで、作家の佐木隆三は『ドキュメント 狭山事件』を執筆する過程において、その取材活動には文殊社の協力を得ていたという話であるが、公判調書等の資料の調査は当然本人が行なっていたものと思われる。これは狭山事件に限らず犯罪の資料に関して調べることが楽しくて仕方ないと『犯罪するは我にあり』の中で語られているからだ。さらに狭山事件を執筆する前段階での話だが、「一九六三年のこの事件と、どのように取組むかは、ひとりの日本人としての己れを問うことになるのだろうが、とにかくわたしは、全力投球するつもりである」と熱く述べている。

   本書ではまた、佐木隆三出世作品(印税三千四百万円以上!)である『復讐するは我にあり』についても、本人により様々な話が語られているのだが、中でもとりわけ興奮してしまった項があった。

   『復讐するは我にあり』という作品の素材となったのは、狭山事件の発生時期と同じ昭和三十八年に起きた連続殺人事件(西口彰事件)である。犯人=西口彰は福岡県での二名殺害を皮切りに静岡県浜松でさらに二名を殺し、千葉県・北海道・東京都・栃木県で金を詐取、東京都豊島区で弁護士一名を殺害、弁護士バッチを着け熊本県玉名市に向かう。ここから先は以前にこの場で扱った古書『誤殺』(下の写真)に詳しい。

   佐木隆三は西口彰の行動を調査するため各地の関係先及び関係者を訪ね歩くのだが、最後に辿り着いた取材先は「〜熊本県玉名市の温泉である。真言宗のお坊さんの家へ立寄り・・・・・・(犯罪するは我にあり)」とあり、この"真言宗のお坊さん"とは『誤殺』の主人公=教戒師:古川泰龍なのである。まさか、ここで『誤殺』と『復讐するは我にあり』の二作品がつながりを見せるとの予想外な展開に、老生は「ほう〜っ(語尾長め)」と興奮したのであった。話はまだ続き、佐木はこの古川泰龍宅に一泊し、さらなる取材を進めつつ西口彰もその湯船に浸かったという岩風呂を楽しんだりする。ところが世間はせまいもので、佐木が妻子ある身でありながら付合い別れた女性A子が、なんとこの古川宅(かつて旅館であった)に三ヶ月も滞在した事実を知らされる。この件もなかなか深く重い話なのだが・・・。

   『誤殺』での西口彰の扱いは、書籍全体の一部にとどまる(とは言え、古川泰龍及びその家族と、対する西口彰との緊張感に満ちた状況は具体的かつ詳細に表現されている)が、佐木隆三はこの西口彰に焦点をしぼり長編ノンフィクション『復讐するは我にあり』を書き上げたわけである。なお、こちらは直木賞受賞をも果たしている。この辺りの話題は楽しいゆえ、また触れてみたい。

   ・・・ある意味ではこの男が存在しなければ『復讐するは我にあり』という作品も生まれなかったわけであるが、結果的に佐木隆三なる作家を世に知らしめ、且つ富さえも与えるという役割を担ったわけだ。本作の映画化においては西口役(原作及び映画では榎津巌)を緒方拳が演じ、『誤殺』(今井幹雄著)にも顔を出すなどし、昭和四十五年の死刑執行後も西口はその稀有な存在感を残していたものの、金に執着し自ら死刑を招いた行動が、のちにこれを扱った者たちへ利益をもたらしているとは何とも皮肉な話である。