
◯写真は事件当時(昭和三十八年)の狭山市。
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【狭山事件第二審・判決 】
(出会い地点について)
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(7)所論は、被告人の自白によれば、被告人はいとも簡単に被害者を「四本杉」まで同道させることができたというのであるが、被告人と被害者とは面識がなかったこと、被告人は当時職人の手伝いをしており被害者とは社会的地位が異なっていること、しかも、出会い地点から「四本杉」まではかなりの距離があるうえ、そのころは雨模様であったとは言え白昼であり、荒神様の祭礼に赴く人達や、畑仕事に出掛けたり帰る人達とも出会う可能性もあり、被害者が叫び声をあげて、同道を振り切ることも容易にできたはずであることなどを考え合わせると、被害者がなぜ被告人と同道したか理解できない、被害者はたとえ被告人に自転車の荷台を押さえられて下車させられ「ちょっと来い、用があるんだ」などと言われても素直について行くはずはない、ここで最も常識的に考えられることは、犯人と被害者とは顔見知りではなかったかということである。被告人の自白がこのように客観的状況と食い違っていて不合理であるのは、被告人が取調官の誘導によって虚偽の自白を強いられたことの証左である、被告人の自白には信用性がないというのである。
そこで、被告人は出会い地点から「四本杉」まで被害者を連行した状況について員及び検調書中でどのように供述しているかをみると、
(一)六・二三員青木調書(第二回)中で「私は『用がある』と言って自転車の荷台の鞄を押さえて止めました。その時その娘は『何すんの』と言いましたので、私は『こっちへ来い』と言って倉さんが首っこ(注:1)をした山の方へ連れて行きました。その時、女が先に立って自転車を転がして歩き私がその後からついて行きました。・・・山へ入るちょっと手前で私が自転車を持つよと言って受け取り私が転がして行きました。・・・私は山の入口の所で自転車のスタンドを立てて自転車を立てました。それから私は女の子の左手を自分の右手で掴んで山の中に連れて行きました。女の子は嫌とも、キャーとも何とも言いませんでした。
問、その時女の子を脅かしはしなかったか。
答、脅かしません。黙ってついて来ました。私はその時善枝ちゃんということは知らなかったのですが、私は石田豚屋にいたので向こうでは私を知っていたかも知れません」と述べ、
(二)六・二五検原調書(第一回)中で「女学生が私の目の前を通り過ぎようとした時、自転車の荷台に鞄が縛り付けてありましたが、それを押さえて『用があるから降りろ』と言うと、女学生は自転車から降りたので、私は『用があるから来い』と言って山の方へ連れて行きました。女は『何すんの』と言うので、私は『用があるんだ』と言いましたが、特に脅かした様な事はありません。女は自転車を転がしながら山の方へついて来るので、約三、四百米歩いたころ、山の道になった所を自転車を私が押して山の中の道を歩きました。・・・・・・女学生は嫌だと言っておりましたが、声を出したり暴れたりはしませんでした」と述べ、
(三)六・二七員青木調書(第一回)中で「善枝ちゃんは、大人しくついて来ました。そして逃げようともしませんでした。近所人がいなかったから、おっかなかったので、大人しくついて来たと思います」と述べ
(四)六・二九員青木調書中で「『いいからこっちへ来い』と言って善枝ちゃんの右に並ぶか、私が後ろになるかくらいに、私が右、善枝ちゃんが左に自転車をはさんで歩き出しました。・・・・・・その時私は別に恐ろしい顔もしないし大きい声を出したのでもありません、善枝ちゃんは黙って一緒に来ましたが、その時その辺りには人もいなかったし、おっかなくなって一緒について来たものと思います。それから私は山の中へ入る少し手前で『自転車を俺が持つよ』と言って私が自転車を持ちましたが、これは自転車を押さえておいて善枝ちゃんに逃げられないために持ったのです。・・・・・・騒ぎも逃げようともしなかったが、その時私は『すぐ帰すから』と言いました。別に脅かすということはしません」と述べ、
(五)七・一検原調書(第一回)中で「善枝ちゃんを山の方に連れ込んだ時の模様は前に申したとおりで、特に脅かしたようなことはありません。しかし私は『こっちへ来い、すぐ帰すから』と低い声ではありましたが、すごみを利かせて押しつける様な声で言ったし、その場所が附近は畑や山で人通りもなく淋しい所ですから、善枝ちゃんにすれば、私が怖くて嫌だと言えず、ついて来たと思います。私はこっちへ来いと言って、山の方に歩かせ善枝ちゃんが先に自転車を転がして歩き、私がその自転車の右側に並ぶようにし、くっついて歩きました。・・・・・・善枝ちゃんは『何するの』と何回か言いましたが、私はその度に押さえつけるような声で『用があるんだ、すぐ帰すから来い』と言って善枝ちゃんを歩かせ、更に『だれか来るといけないから急げ』と命じて歩くのを急がせました。善枝ちゃんは私が恐かったので私の言うとおりになっていたのかも知れないが、暴れたり声を出したりはしませんでした。・・・・・・山の方に行き、山に入ろうとするころ自転車を私が持って善枝ちゃんは私のすぐ前を歩かせました。・・・・・・倉さんの首っこをした附近の山の所で『そこを右に入ってくれ、すぐ帰すから』と言うと善枝ちゃんは私が命じたとおり黙って山の中の細い道を右の方に入って歩きました。それから四本杉の附近まで来た時、そこで止まれと言って善枝を止め、私が自転車をその山道に立てて善枝ちゃんの手首をつかんで、林の中に道から二、三米引っ張り込み、すぐ帰すから手を後ろに回せと言うと黙って両手を後ろに回したので、松の木を背中に抱かせるようにして、私がポケットに持っていた手拭いで善枝ちゃんの両手を後ろ手に縛りました。私は大きな声でどなりつけたり殴ったりはしませんでしたが、押さえつけるようなすごみのある声でそれまで命令したので、善枝ちゃんも恐くなって嫌だと言わないで逃げなかったと思います。手を後ろに回せと言った時も黙って手を後ろに回し、縛った時も声を出すようなことはしませんでした。善枝ちゃんは泣きはしませんでしたが、黙ってむっとした顔をしておりました」と述べている。
これらの被告人の員及び検調書をみると、所論がいうように被害者がしかく(原文ママ)簡単に出会い地点のエックス型十字路から「四本杉」まで被告人について行ったものとは認め難い。被告人は、暴行や脅迫を加えたことを否定し、被害者は格別抵抗しなかったなどと供述しているが、真実を告白しているかどうかは極めて疑わしく、被告人の自白どおりであるとしても、被害者は予期もしなかった異常な事態に遭遇し、昼間ではあったが、近くに救いを求めるような人影はなく、また高校入学後間もないことでもあり新しい学用品等が入っている鞄を載せていた自転車の荷台を被告人に押さえられたため、逃げるに逃げられず畏怖心にかられて被告人のいうとおりに「四本杉」まで連行されたものであることは容易に推認することができる。たしかに、被害者の姉=中田登美恵、兄=中田健治、学校の先生=宇賀神敏枝の原審各証言によれば、被害者は、スポーツが好きで体格もよく、明朗な性格の持主で、学業成績も優れ、人物もしっかりしていて、見知らぬ人が道で誘っても容易くついて行くような女性ではなかったことが窺われる。しかし、いかに人物がしっかりしていても、まだ十六歳の高校生であってみれば、予期もしない異常な事態に遭遇し、ずるずると被告人の意に従い、取り返しのつかない羽目になってしまったと考えることができる。
してみれば、所論は、関係証拠を総合的に考察することなく、いたずらに推測を巡らしているだけで、採用の限りでない。
それゆえ、出会い地点に関する論旨は理由がない。
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注:1「首っこ」=首吊り。狭山地方の方言と思われる。
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◯石川被告が被害者にかけた最初の言葉、『用があるから来い』で始まる本件であるが、現実的には初対面の女子に向かってこんな言葉を吐く輩はほぼ皆無であろうことは明白である。
寺尾裁判長は、被告人が犯行へと向かった動機の一つとして、時折り吉展ちゃん誘拐事件を引合に出すが、その事件の犯人である小原保ですら、『昭和三十八年三月三十一日、公園のトイレにいた男児に「おじちゃんの家に行って壊れた水鉄砲を直してあげよう」と誘い、別の公園で黄昏時まで思案した後、南千住の東京スタジアムへ連れて行ったとき「おじさん、おうちに帰ろうよ」と男児に言われた小原は遺体発見現場の寺へと男児を連れていき「ここがおじさんのおうちだよ、もうすぐ戸が開くから」と待っている間に男児が寝てしまい、ベルトで絞殺した後、さらに両手で首を絞めた』と述べているのであって、要するに、たかが四歳の子供を連れ去るだけであってもその対象となる相手に警戒感を与えぬよう気を配っているのである。
狭山事件の被害者は十六歳の女子であり、水鉄砲で遊ぶ当時四歳の吉展ちゃんと比べ、もはや大人として扱われる年令である。誘いに乗るか拒否するかが鮮明にその態度に現われる年頃の被害者が『用があるから来い』のごとき誘い(または脅し)に乗るとは到底考えられない。
したがって石川被告は被害者とは会ったことなど無く、この供述調書は取調官による誘導、創作調書と言え、これを指南した司法警察員が誰かは知らぬが、図らずも文章表現力に劣った者がこれを誘導及び作成してくれたおかげで、むしろ調書の欺瞞性を突く要因を残してくれたことを喜ばなくてはならないかも知れない。
とまあ、このようなことばかりに取り組んでいても疲れるのであり、趣味の古本屋巡りとその古本購入費用を確保すべく考えを巡らす。

こんな馬券をコンスタントに獲れれば良いのだが・・・。とりあえず週末は、今週開催の彩の国所沢古本まつりを巡り、且つ府中の競馬場で馬券を買おうかな。