アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1353 【判決】52

写真は事件当時の荒神様(三柱神社)。

事件当日の五月一日は祭りの日であり、神社周辺は参拝客などで賑わっていたが、その誰一人として石川被告を目撃した者はいなかった・・・。

現在では祭りは行なわれず、現地はこの通り殺風景な状況を呈している。

                     【狭山事件第二審・判決 】

                          (出会い地点について)

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(2)所論は、五月一日に被告人は荒神様(三柱神社)の所を通っていないと主張し、その理由として、当日は同神社の祭礼の日であり流行歌のレコードが大きくスピーカーで流されていた事実があるのに、被告人は検察官の取調べに際して「レコードがかかって流行歌等歌っていたのではないか」と質問されても「それは聞きませんでした」と述べており、このことは、被告人が当日の状況について無知であること、すなわち当日荒神様の所を通っていないことを示すものであって、荒神様の所を通った旨の自白は明らかに客観的事実に反するというのである。

 

  たしかに、当審で取調べた野口清之丞の六・二七員調書によれば、同神社で祭礼気分を盛り上げるため流行歌のレコードをスピーカーで流した事実はあったようであるが、被告人がそこを通った際にたまたまレコードがかかっていないこともあり得るし、レコードがかかっていても被告人が気にとめなかったこともないとはいえない。それに、被告人は取調官に対し、入間川駅で下車して荒神様の方へ行った事情について詳細具体的に供述しており、確たる裏付けこそないが十分信用できる。少なくとも被告人がスピーカーからレコードが流されていたのを聞かなかったと供述しているという一事によっては、当日被告人が同神社の所を通らなかったとはいえない。

   なお、被告人は当審(第二十六回)において、「山学校の方で善枝ちゃんをつかまえたといったら、それではそれを証明するものがあるかといわれたので、子供のころ荒神様に綿菓子とかおもちゃ屋が出ていたから、その日は荒神様のお祭りだったので、おもちゃ屋が出ていて綿菓子が桜の木の下に出ていたということを地図に書いて示しました。お祭りがあったのかどうかも知らなかったです。荒神様のお祭りには何年も行ったことがないです」と供述しているが、不自然であって信用できない。

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(3)所論は、出会い地点が被害者の平素の通学路と異なったコースに当たることを理由として、被告人の自白には信憑性がないというのである。

   ところで関係証拠によれば、被害者の川越高校入間川分校への通学路は、通常自宅から権現橋、佐野屋脇、薬研坂を通り狭山精密前から入間川四丁目を通って学校に行く道順を往復することになっていたところ、被害者が当日下校後、右の通学路を通らなかったことは確かであるが、実際にどういう経路を経て被告人と出会ったかは必ずしも明らかではない。

   ただ、被害者の死体と共に発見された雑部金領収書乙一枚(昭和四一年押第一八七号の一四)の存在と被害者の家庭科と体育の先生であった証人=宇賀神敏枝の原審(第六回)供述とによれば、被害者は下校後、右領収書を受領するために狭山郵便局に立ち寄ったことが推認できるに過ぎない。しかし、被害者が当日、何らかの事情で、例えば荒神様のお祭りの模様を見物しようとして平素の通学路と違う加佐志街道を通ることも十分考えられるところである。

   なお、所論は出会いの時刻に関する被告人の自白ははっきりしないというのであるが、被害者の学友であった証人=中根敏子の原審(第六回)供述によれば、被害者は同日午後三時二十三分ころに下校していることは前述のとおりであり、このことと被害者は下校後学校の近くにある郵便局に立ち寄っているので、その所要時間を考慮し、且つ学校から原判示エックス型十字路までの距離関係(当審第一回及び第四回検証調書によれば、学校と右十字路との間の距離は薬一四〇〇米である)を考慮すると、被害者は自転車で午後三時四十分ないし五十分ころ右エックス型十字路に差し掛かったものと推認される。

   そうだとすれば、被告人の自白する被害者との出会い地点が平素の通学路と異なるコースにあることや、その時刻に関する自白がはっきりしていないことを理由に、被告人の自白に信憑性がないと主張するのは早計に失するものといわざるを得ない。

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その昔、法医学界の権威中の権威といわれた東大名誉教授、科学警察研究所所長=古畑種基という人物がいた。

   弘前事件及び島田事件の両事件の裁判で採用された氏の鑑定は誤りであったことが明らかになっている。
 
   古畑氏が岩波書店から『法医学の話』という本を出版したが、その「第六章 証拠としての血液型の価値」の中では、弘前事件の被告のシャツに付着した血痕は被害者のものと鑑定してゆく経緯が述べられ、結果、一審の無罪判決を覆し、自身の鑑定により第二審・最高裁で有罪判決に持ちこんだ過程が古畑自身の口から語られている。
 
   弘前事件は時効後、真犯人が名乗り出たことにより冤罪が判明したが、同時に被告を有罪とした判決の決め手であった古畑鑑定は明確な誤鑑定となる。なお、氏の鑑定における誤りは、血液の分類及び判定等ではなく、その先の犯人と容疑者とが一致か不一致かに関する箇所の論理にあった。
 
   これにより当時の岩波書店は『法医学の話』を絶版にしたうえ、各書店の店頭からも回収した。
 
   一連の事実から垣間見えることは、裁判所は明らかに古畑種基という法医学者としての権威に畏怖し判断を誤り、これに対し警察、検察はある意味において古畑氏を利用したと言えよう。