【狭山事件第二審・判決㊺】
(被害者のスカートの破損と上着のボタンの脱落について)
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所論は、被害者のスカートが破れていることは明瞭な事実であるが、スカートはいつどうして破れたかは明らかでない、被告人は七・五検 原調書中で、「スカートが破れているのは芋穴から引き上げる時、善枝ちゃんの足が穴から外へ出て体を引き出す時にスカートをつかんで引っ張った様な気がするのでその時と思います」と述べているが、被告人はこれより先の七・三員青木調書中で「破けたという音は気がつかなかったが、もし破けたとすれば穴ぐらへ入れる時か出す時と思います」と述べており、これをみると検察官は、被告人が員調書でスカートをつかんで死体を吊り下ろしたと供述しているが、それでは死体が芋穴の底に墜落してしまうことになるので、被告人を不当に誘導して死体を芋穴から引き上げるときに破れたと供述を訂正させ、辻褄を合わせたもので、被告人が記憶を喚起して進んで真実を吐露したものではない、死体を芋穴から引き上げる際に破れたとすれば、吊り下ろす際と同様に死体は芋穴の中へ墜落してしまうに違いなく、また仮に死体がすでに芋穴から半ば引き出されていて墜落しないような状態であっても、死体の全重量がかかるのでスカートは破れるどころかすっぽり外れてしまうのではないかと思われる、スカートが破れた原因についての被告人の供述は到底信用できない、また、被害者が着ていた上着のボタンが二個脱落していることは明らかな事実であるが、うち一個は発見されていないし、被告人は七・三員青木調書中で「(芋穴まで)抱いて運んだのですが、私はそのとき善枝ちゃんが着ていた服のボタンはかけてあったと思います。もしそのときボタンが外れておれば服がダラリと下がるはずですが、そのときは下がっていなかったと思います」と述べ、七・八検 原調書中で「善枝ちゃんの体は穴の壁に擦れながら引き上げられたわけです。善枝ちゃんの体が穴の外に半分くらい出たころ、制服の上着をつかんで引っ張った様に思います。上着のボタンが千切れているかどうか知りませんが、千切れているとすればそのときだと思います。それ以外のときには千切れるほど上着を引っ張ったことはありません」と述べているが、もし、死体を芋穴から引き出す際にボタンが千切れたとすれば、芋穴の中か芋穴の付近でボタンが発見できたであろうのに、だれもボタンを発見していないのである、自白からすれば当然発見されて然るべきボタンが発見されなかったのは、ボタンは自白とは異なり、別の場所で、被告人の知らないときに脱落したに違いない、いずれにしても、被告人の自供内容と客観的事実とは食い違っていて、自白には信用性がないというのである。
しかしながら、前掲七・五検 原調書の供述内容が検察官の不当な誘導によって得られたと窺うに足りる事情は見いだすことができない。被告人は、原審(第七回)においても「死体を穴の中から出すときスカートを持って引っ張ったのでそのとき破れたと思います」と供述しており、七・五検 原調書中で供述しているように「死体の足が穴から外へ出て体を引き出すときにスカートをつかんで引っ張った」とすると、死体の重量がさほどスカートにかかる状況ではないと認められるから、死体が芋穴の中へ墜落したり、スカートがすっぽり外れてしまうことはないと考えられる。
次に、死体の発掘状態について実況見分をし、その調書を作成した証人=大野喜平の原審供述によれば、死体発見時には被害者の上着のボタン三個のうち一個が脱落していただけで、他の一個は死体を中田家へ運搬し、解剖するまでの間に脱落したものであることが認められる。たしかに、脱落した二個のボタンのうち一個は発見されず、被告人もそのボタンは死体を芋穴から引き上げるとき脱落したと思うと述べているだけで、いつどのような機会に脱落したかについて明確な供述をしているわけではない。しかし、本件犯行の態様に徴すれば、被告人が被害者を強姦し殺害した後、死体を埋没するまでの間に右のボタン一個が脱落する可能性は十分あり、この間に被告人がボタン一個の脱落に気付かなかったとしても、少しも異とするに足りないことである。これを要するに、所論は合理的な疑いというよりはむしろ憶測に過ぎないというほかはなく、自白と客観的事実との間に齟齬は見いだせない。それゆえ、論旨は理由がない。
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先日の古本市で入手した、『絶望の門から・加藤新一翁の生涯』の主人公=加藤新一が無罪判決を得たのは事件発生から六十二年後の昭和五十二年、そして本書と共に入手した『JAMJAM日記・殿山泰司』が、実は同じ年の昭和五十二年発行であった。まったく相容れぬ分野の本たちであるが、我が関心を引き購入した二冊の古本に"昭和五十二年"という共通点があることを発見し何やら因縁らしきものを感じる。
ではこの年、狭山事件裁判の動きはどうかと調べると、昭和四十九年に東京高裁で下された無期懲役の判決に対し弁護団が最高裁へ上告するも、この昭和五十二年、最高裁第二小法廷(吉田豊裁判長)は上告を棄却、石川一雄被告の無期懲役が確定し、千葉刑務所へ移監された。なお同年にはエルヴィス・プレスリー、チャールズ・チャップリンらが亡くなっている。
アクの強い脇役が専門の俳優「殿山泰司」は素晴らしい。同じく、脇役専門であった榎木兵衛もそうであるが、もっともっとその俳優としての再評価が望まれるところであるが、この殿山泰司は数冊の著作を残しており、今回はめでたくそのうちの一冊が手に入った。帯付き初版で値段は百五十円か二百円と記憶する。
読み進めたところ、ちょっと嬉しい記述を目にする。『〜金松堂へ入り本を見る。佐木隆三「復讐するは我にあり」が目につく。たまにはハード・カバーもと、その上下二巻を買う。散歩をやめて家に帰り万年床にもぐり込んで読む・・・・・・。・・・・・・このノンフィクション・ノベルというか、犯罪小説というか、読みはじめたらやめられないのよ。オレは犯罪というものに特に関心を持っているせいか・・・・・・』
おお、趣味が一緒ではござらぬか旦那さん、うちへ来なさいな。事件、犯罪がらみはおろか、狭山事件の公判調書までありまっせ。
佐木隆三「復讐するは我にあり」は昭和五十年に直木賞を受賞した作品である。今回入手した『JAM JAM日記・殿山泰司』は発行こそ昭和五十二年であるが、その日記の日付は昭和五十年十一月から始まっている。ああ、そうすると殿山泰司が手にした本は新刊、初版である可能性が大と推定される。殿山が入店したという金松堂が古書店ではなく新刊本を扱う店かどうかが確認できれば、前述した推測の信憑性は増すが・・・。
どこかで佐木隆三「復讐するは我にあり」の初版帯付きを入手し、万年床でこれを読めば、殿山泰司の思考を擬似体験でき、彼をより深く理解できることにつながるかも知れない。


殿山泰司 榎木兵衛
なお、松田優作主演の映画『蘇える金狼』の劇中、付近住民の通報により自転車で敵方のアジトを訪ねてきた警察官が玄関扉を開けるなり屋内で発生した火災に巻き込まれ、火だるまのまま生き絶えるシーンがあるが、この誰が担当してもよさそうな警察官役を榎木兵衛が演じていたことを知り、よくまあこんな役を受けたものだと感心したものだ。このシーンに限って言えば、豪炎に包まれ焼け落ちてゆくアジトをバックに、逆光という形でその炎に引火され悶え苦しむ警察官が撮影されており、映像上は「アジトを訪ねてきた警察官が焼死する」という以外の情報は得られない。しかし、このアジト及び単なる警察官一名が炎にまみれる様を簡略したことで、暗闇の中、これらの推移を草藪の中から確認し終えた朝倉哲也(松田優作)が不敵に立ち去るシーンを際立たせることに成功しているのだろう。生涯、脇役という立場をわきまえた榎木兵衛に今夜は乾杯しよう。