アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1345 【判決】㊹

「(事件当時)五十嵐鑑定人は県警の鑑識課員で、捜査当局の有力な構成メンバーなのであり、彼に鑑定人としての中立と公正を期待することが土台無理な話なのです」(狭山裁判と科学 武谷三男 編より)        

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                    狭山事件第二審・判決㊹】

                   (胃内容物と殺害時刻について)

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(3)次に所論は、殺害時刻を午後四時二十分ころとし、中田家へ脅迫状を届けた時刻を午後七時三十分ころとし、その間被告人が自白どおりの手順で事を運んだとしても、一時間ないし一時間半の空白時間が出てくる、もともと殺害後は後始末に寸刻を争うのが人情であるが、五月一日の午後四時とか五時といえばまだ白昼時で、芋穴の辺りは周囲から見通しのきく場所でもあるから、そこでのろのろと芋穴に死体を逆さ吊りにするなどという芸当はまず考えられない、しかも、午後四時二十分以降は雨は本降りとなっている、一体被告人はこの空白時間を野外でどうしていたというのであろうか、この間の事情について説明がないこと自体、供述の真実性を否定することであるというのである。

 

   いかにも一件記録によれば、殺害時刻は午後四時二十分ころ、中田家へ脅迫状を届けた時刻は午後七時半ころとみて差し支えない。そして、先にみたように被告人が「四本杉」を離れて中田家へ向かった時刻は午後六時半ころとみるのが相当である。そうだとすれば、午後四時二十分ころから六時半ころにかけての約二時間の間、被告人のいうところに従えば、被告人はあれこれと考えた末(三十分間ほど桧の下であれこれ手順を考えたという供述は、犯人の心理からみてごく自然であり、取調官が空白時間を埋めるために誘導して獲得した供述であるとは考えられない)、脅迫状を書き直したり、暗くなるのを待って荒縄探しに行ったり、死体を芋穴に運んだり、芋穴に死体を隠したりして犯行現場付近にいたことになる。

   思うに、被告人は文章を書くことに慣れていないのであるから、脅迫状の訂正作業にも相当の時間がかかったことが推認され、所論が「死斑について」の項で推定しているように、五分や十分で脅迫状を訂正することができたとは到底考えられない。その他の手順についても、所論がいうように三十分間(ただし、脅迫状の訂正時間を含めていう。なお、所論は「死斑について」の項では一時間とみている)では到底なし遂げることはできまい。そればかりか被告人はその間の行動について必ずしも真相を詳述しているとは考えられないし、また犯人の心理状態からいって時間関係や事の手順についてしかく正確に記憶しているとも考えられない。

   してみれば、この点に関する所論は、憶測の域にとどまり、合理的な疑いがあるとまではいえない。それゆえ、論旨は理由がない。

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                             (姦淫の態様について)

   所論は、上田鑑定を援用し、死体外陰部に存在する損傷は被告人が自白調書で述べているように「さぐり」又は「まさぐる」程度のことでこのような損傷が生ずるかどうか疑わしく、また被告人が述べるような方法で姦淫が可能かどうかも疑問である、殊に、被害者は後ろ手に手拭いで縛られていたとすれば「右掌側前腕尺骨縁中央部の指頭大皮下出血」(五十嵐鑑定)一個にとどまらず手にその他の傷を負うことは当然予想し得るところである、更に、処女膜の時計文字板位一〇時から二時までの間は裂隙状(裂けているという意味)でしかも創縁が蒼白で死後にできた損傷であると思われ生前のものでないことが確かであること、外陰部の損傷は生前、姦淫時にできたものと考えるのが妥当ではあろうが、その位置関係や死体が引きずられたなどの事情があるために、他の時にできたかも知れず、必ずしも姦淫時に生じたものとは断定できないこと、小陰唇の損傷だけでは暴力的性交の証拠とすることは比較的可能性が乏しいこと、すなわち処女膜の六時位に皮下出血を伴う小指爪面大挫傷(五十嵐鑑定にいうI)も爪痕とは考えにくく、大陰唇、小陰唇などの各損傷(五十嵐鑑定にいうH1H2H3G1G2G3)も必ずしも暴力的性交でなくとも性交に慣れない者による性交の場合にできる可能性があることなどを考え合わせると、被害者の陰部に残る痕跡は必ずしも暴力的性交によるものとは言い切れない、のみならず被害者が姦淫されたのは死亡直前であるかどうかは断定できないというのである。

 

   たしかに、上田鑑定は、外陰部に存する損傷について所論指摘のような意見を述べている。しかし、五十嵐鑑定及び証人=五十嵐勝爾の当審(第五十四回)供述によれば、同人も左右大陰唇外側面のG2G3については「典型的爪痕の形状を示さないが、加害者の指爪による損傷の疑いが強く存在す」と述べているだけで、その成因についてしかく断定的な意見を述べているわけではない。そして、被告人のいうように、被害者の両手を後ろ手に縛って押し倒したうえ姦淫した場合でも、被害者の前腕部に皮下出血一個の傷害を負わせるにとどまることも決してあり得ないことではない。また、被害者が処女であったかどうかについても、五十嵐証人が当審公判廷で供述しているように現段階においてはこれを確認することはできない。更に、上田鑑定は新たに処女膜に生前のものと思われる裂隙状の損傷があると指摘しているが、その他の外陰部に存するH1H2H3IG1G2G3の表皮剝脱、擦過傷、皮下出血などの各損傷については両鑑定とも生前に(特に、上田鑑定もG1G2G3Iについては性交時のものではないかといっている)生じたものとみている。なお、両鑑定とも膣内容から精虫多数が検出されたことを前提として結論を導いている。以上検討してきたところによれば、両鑑定の外陰部の損傷についての所見はさほどの相違があるとは考えられない。要は、これらの外陰部以外の被害者の死体の状況(殊に損傷の存在、その成因など)について医学的にどうみるかということであり、言い換えれば死体の状況を総合的に判断して医学的に犯行の態様をどの程度推認することができるかということであり、その点で両鑑定の結果が分かれているとみてよい。つまり、五十嵐鑑定は「1.本屍の外陰部には生存中傷の新鮮創を存すること。2.膣内容より形態完全なる精虫多数を検出し得たこと。3.本屍には生前の外傷を存すること」のほか、犯行の態様には三つの型があって、普通一番多いと思われるのは抵抗を排除しつつ性行為を行なうために扼殺に至る型であり、次は、あらかじめ殺しておいてから屍姦に類した行為をする場合、更に姦淫をした後あらためて扼殺を行なう場合であり、本件は第一の型であろうという同鑑定人の経験的知識に基づく推定を根拠として、「本屍の死亡直前に暴力的性交が遂行されたものと鑑定する」と結論し、他方、上田鑑定は、H1H2H3G1G2G3は性交に慣れない者の性交時に生ずる可能性もあるから死亡直前に暴力的性交を受けたとは断定できないと結論するのである。

   しかしながら、前記のとおり被害者の外陰部に生前の損傷があり、膣内容から形態完全な多数の精虫が検出されたことのほか、死体には多数の生前の損傷があること、死因が扼頸による窒息死であること、被害者の死体がタオルで目隠しされ、且つ、手拭いで後ろ手に縛られ、またズロースも下げられた状態で発見されたことなどを総合して考察すると、被害者は死亡の直前強いて姦淫されたものと推認するに十分である。

   この点につき、被告人は自ら員及び検調書中で、身分証明書挿入の手帳一冊を強取した際、にわかに劣情を催し、後ろ手に縛った手拭いを解いて同女を松の木から外した後、再び右手拭いで後ろ手に縛り直し、次いで数米離れた四本の杉の中の北端にある直径四十糎の杉の立木の根元付近まで歩かせ、同所で仰向けに転倒させて押さえ付け、ズロースを引き下げて同女の上に乗りかかり姦淫しようとしたところ、同女が救いを求めて大声を出したため、右手親指と人差し指の間で同女の喉頭部を押さえ付けたが、なおも大声で騒ぎ立てようとしたので、右手に一層力を込めて同女の喉頭部を強圧しながら姦淫を遂げた、姦淫を遂げた後に被害者が死亡したことに気付いた旨の供述をしているのである。

   してみれば、被告人の自白と死体の状況との間に矛盾するところはないと認められる。それゆえ、論旨は理由がない。

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   ◯内容はかなり難解な領域に入っているが、ここに簡単にまとめると、狭山事件第二審での争点の一つに「殺害方法」がある。これは扼殺か絞殺かを巡る問題であり、その構図は次のとおりとなる。

『扼殺説=五十嵐鑑定・寺尾判決』

『絞殺説=上田鑑定・弁護人』

   この問題は本判決後も尾を引き、多くの法医学者が五十嵐鑑定と寺尾判決の誤りを指摘、昭和五十二年には千葉大学=木村教授、東京慈恵会医科大学=青木教授らによる「絞殺」の新たな証拠(意見書)が最高裁に提出されている。

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   先日、高円寺の西部古書会館で入手した『絶望の門から・加藤新一翁の生涯』は、久々の掘り出し物であった。

   本の内容は、大正四年、山口県豊浦郡において強盗殺人事件が発生、犯人Xは逮捕されるも自身は従犯であるとの立場をとり、事件の主犯は「加藤」であると供述、まったくの濡れ衣をかけられたまま加藤新一は逮捕され有罪となる。昭和五年に仮出所。その後、六度目!の再審請求が受理され再審開始。昭和五十二年、無罪判決が下る。

   事件発生から六十二年後の無罪判決は日本の司法史上最長という・・・。

   こんな本が、いや、こんな事件が存在していたとはまったく知らなかった。己れが昭和生まれということもあってか、どうも昭和時代に起きた事件・犯罪にばかり目が向かっていたが、今後は、昭和時代に解決した事件・犯罪に関する書籍へも眼を光らせたい。

   ところで、家へ戻り本書を鑑定する中、喜ばしい事実を確認する。

   「¥500」と表示された紙片の下に、もう一枚何かある・・・。

   その紙片には明らかに「¥1.000」との表示が確認され、客観的な状況判断から推察するに、この本には元来「¥1.000」という値付がされていたことをものがたり、且つ、その上面に重ね貼られた紙片に「¥500」との表示が明瞭に確認されるということは、これらの事実を総合的に考え合わせると、「本書を西部古書会館古本市へ出品した者は通常平時、この書に¥1.000という価値を与えていたものの、古本市という特異な古本販売形態へ対応させ売り捌くとの奸計を働かせ、よって本来であれば¥1.000という価格を、殺意をもってその半額となる¥500との表示へと変更し出品、本会場に居合わせた者がそれとは知らず購入、この者はただちに本書を自宅へ持ち帰り読書を開始したと推認される。欲する者に対し安価で売買したという事実に徴すれば、¥1.000から殺意をもって¥500へと値下げした経緯中にその殺意は認められず、よって本書を販売した者はむしろ購入者にとって益であり、購入した者も益と証言していることから、本事案は一件落着となし得る」